不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

坂と階段

人が何かを修得する過程において、私は常々大きく二種類あると思っています。
すなわち坂道のようにシームレスに上達する坂道型と、階段のように少しづつ垂直上昇する階段型。
もしかすると階段型も細分化すると坂道になるのかも知れません。

坂道型の人は日々の努力に対して得られた、小さな成功や僅かな上達を発見して歓びを感じる人なのかもしれませんし、コツコツ地道に続けているのかも知れません。
私はよく周囲からは地道に真面目にコツコツ努力する坂道型と見られがちなのですが、私自身は結構怠惰な方で正直汗水流して努力することが好きではありません。なのでいつも穴狙いが多い(笑) 最小限の努力と最大限の効果を狙うためにいつも広く深い観察力と洞察力を持つように努めているつもりです。

とはいえ、階段型の辛いところは努力しているのに次の一段が見えず、ひたすら先の見えない平坦な部分を歩むこと。また、次の一段がどれ程高いのか分からないこと。坂道型の人がジリジリと上昇しているのを横目に平坦な道を歩くのは正直辛いと思うことしばしば。そもそも階段型とは言ってもいつ次の1段があるのか分からない上にその段差がショボかったりする可能性もありますから。
そういう意味では階段型はこの先きっといいことがあると信じる、良くも悪くも何か信仰心のようなものがないとダメなのかも(笑)

私について言えば、どちらかというと大きな階段を上る方です。いや、実際には気付かないうちに小さな階段も上っているのかも知れませんが、あるときドンと1段登ったり、グンと押し上げられたりすることが多い。とは言ってもせいぜい数年に一度とか、そんな程度です。武芸でも禅でも何度かありますが、それがあったときは小躍りしたくなるような嬉しさと、ある種の怖さのようなものを感じます、元々私は小心者なので大いなる力(ちょっと大げさですけど)を得るとまず畏怖の念を覚えます。それにも増していつ終わるとも分からない平坦な道を歩いている間の焦燥感や忍耐力を考えると毎回疲労困憊です、情けないことに。

上達の定義にも色々ありますが、武芸で言えばまず武技に優れていることと定義すると、上達するためにはもちろん努力は必要ですが、それは方法論というのか視点というのか、それで型に差があるのかも知れません。
「その時間をとにかく一生懸命汗をかく」だけでは上達しないというのが私の持論です。人は等しく24時間しかありませんから。これを書くととんでもなく長くなってしまいますから、かいつまんで言えば、原理原則法則性を多角的に観察してそれを理解した上でそれを効率的に実現化させる訓練方法を編み出すこと。それは新しく考えねばならないこともありますし、継承されている稽古法の中にあることもあります。それらに気付くことです。私の経験ですが、昔ながらの稽古法にひたすら汗を流すタイプにはあまり感銘を受けた人はいませんでしたね。よりベターな、新しい鍛錬方法を編み出せる人はそれなりに優れていると思います。

昨今ITの発達著しく、従来のやり方考え方だけではどんどん社会に取り残されていってしまうのと同じで、武芸などの芸事も伝統を重んじつつも創意工夫が肝要ではないかと思った次第です。

 

令和五年長月六日

不動庵 碧洲齋

 

葉月二十一日稽古所感

昨日の稽古は弟子1人のみ。
崩しについて徹底的に稽古をしました。
個人的には崩しの技法は技の手順に関わる技法や知識よりも重要と考えています。

自分は限りなく安定して流れるような均衡の中にあり、相手は立ち直ることすらできずひたすら崩れ続ける状態にある、こんな状況が作れたら最高です。

渾身の一撃で相手を撃破するというのはカッコよいものですが、現実的には難しい上に試合ではない場合、例えば身を守るときの行為であった場合は確実に正当防衛として認められません。多分過剰防衛になると思います。日本の正当防衛の要件はかなりタイトなのです。
また、一撃で、という動きはかなりアンバランスでリスクも大きい。虚実織り交ぜて戦うことが武術の妙であるとは言え、一挙手一投足で極めるという動きはかなり危ういものがあります。

体の可動部位をなるべくたくさん、なるべく精緻に、かつ有機的に連動して織り成す体術の動きは流麗で、注意していても見逃してしまうほどに自然な動きです。それを行っている人は盤石の均衡を保っており、川の流れのように澱みがありません。またこの動きは大変掴みどころがなく、第三者が見ていても分かりにくい。これは複数を相手にしたときには有利です。相手の流儀を即座に知り、自らの流儀を見せない、これは実戦においてはかなり有利に働きます。これは私が実際に経験して感じたことです(笑)

とはいえ崩しは相手の体の本能や自然反射や心理まで深く精緻に読む必要があり、技の手順を学ぶことに較べると、崩しの手法は大変分かりにくく学びにくい。故に奥深いと思うのですが、弟子にはちょっと難しかったか(笑)
しかしこの妙が面白く感じてくるものです。弟子たちがこの機妙を愉しめるようになってくれたら嬉しく思います。

令和五年葉月二十二日
武神館 不動庵道場
不動庵 碧洲齋

今チャレンジしている知恵の輪

武神館 不動庵道場
【日時】2022年1月8日土曜日、14:00-16:00
【場所】谷塚上町会館:草加市谷塚上町225-1
【アクセス】東武スカイツリー線 竹ノ塚駅西口
東武バス 竹04/竹05にて約10分、又は竹06にて約15分。
バス停「谷塚上町」降りてすぐ。
徒歩の場合、最寄駅は谷塚駅
駐車場あり。
入門希望者・興味ある方はご連絡ください。

老いについて

最近、「老化」についてちょっと考える機会がありました。
もちろん自分自身については時折ふと頭をよぎりますが、今回は自分の師匠の話。

先日、稽古の後に先生の運転で最寄駅まで乗せていってもらいました。
昔はよく駅まで乗せていってもらったものですが、今回はたまたまです。数年ぶりぐらいでしょうか。
私の師は今年80歳になりましたが今でもよく運転をして、長距離を運転することもあります。
80歳というと免許証返還する方もいますが、さすがに武芸を嗜んでいるだけあって運転するにはまだ十分な運動神経は保持しています。
とはいえ、あと何年運転できるかという時期には差し掛かっているのは間違いありません。
そのような不安がよぎり、ふと思った次第です。

武芸者は老いて尚、強くあれというのが一般的です。
老いのために使える体のリソースは減るものの、残されたリソースを最大限効率よく使うことでその強さを維持します。
しかしそれでもやがて体が言うことを聞かなくなることはあると思います。
そうしたら武芸者としては価値が下がるのでしょうか?

もちろん違います。
その経験に基づいた知恵を後進に伝える、これは尊い責務だと思っています。
武芸に限った話ではないでしょう。
スポーツでも現役を引退した後にコーチや監督になる人は多いです。
武芸に於いても同じです。
自分の持ちうる技術や知恵の全てを後進に伝えることで流儀の質を上げていきます。
会社でも伝統芸能でも文化でも、これあるからこそ時代を経て磨かれていくものだと思います。
これが老いゆく者の崇高な責務であり、歴史的に見てもこれこそが人間社会の営みの神髄だと理解しています。

そういう意味ではある程度の年齢になったら、若い頃からでもいいと思いますが、人に教えるというアウトプットの技術を磨いておくことは大変有意義だと思います。
あいにく私は人に何かを教えるのはあまりうまくないように感じますが(笑)
今後は今少し他人に指南できる技術を磨いて参りたいところです。

 

令和五年葉月二十二日
不動庵 碧洲齋

 

葉月十七日稽古所感

本日は久し振りに弟子が揃った。

そしてイレギュラーに稽古時間を4時間とした。

受身稽古に1時間を費やす。当流に於いて受身は技の一部、術の一部であり、技を受けたときの対処法以上であるため、初心者には必須の技術だからである。

次に体練、体幹と重心、慣性力の制御を高精度に行うための鍛錬。久し振りに行ったがまずまずの出来映え。組み手で加圧してもなかなかの精度だった。

型稽古。念入りに行ったため2つ3つしかできなかったが、応用を利かせれば残りもできることと思う。

基本技、全部はできなかったが間合い、角度、拍、バランスにまだまだ問題ありだが、今後の成長に期待する。

ここではまず何よりも先手を打ってバランスを崩す、相手の心よりも先に進める、相手に読ませない、継ぎ目のない川の流れのような動きを心掛けている。なかなかに初心には難しいが、今後もていねいに指南したい。

 

令和五年葉月十七日

武神館不動庵道場

不動庵 碧洲齋

武神館 不動庵道場
【日時】2022年1月8日土曜日、14:00-16:00
【場所】谷塚上町会館:草加市谷塚上町225-1
【アクセス】東武スカイツリー線 竹ノ塚駅西口
東武バス 竹04/竹05にて約10分、又は竹06にて約15分。
バス停「谷塚上町」降りてすぐ。
徒歩の場合、最寄駅は谷塚駅
駐車場あり。
入門希望者・興味ある方はご連絡ください。

山岡鉄舟居士

一番尊敬している武士は誰かと訊かれると、私の場合は山岡鉄舟と答えています。
彼は天保7年6月10日〈1836年7月23日〉に産まれて明治21年〈1888年〉7月19日に53歳で亡くなりました。
丁度今の私と同じ年齢です。
彼は32歳の時に明治維新を迎えており、徳川幕府では幕臣として、明治以後は明治天皇の侍従として活躍しました。古い時代と新しい時代、あるいは幕府と朝廷両方を知った人物です。
禅では在家ながら印可を受けた居士であり、剣術や書道においても達人でした。明治に入ってから一刀正伝無刀流という流派を建てました。江戸時代の遺物として廃れ始めていた剣術で一流を建てたあたり、彼の気概を感じます。
山岡鉄舟の逸話については数多あるので割愛しますが、私が16年以上通っている川口市芝の長徳寺にも山岡鉄舟は若い頃に良く通い参禅していました。寺には本人が寄進した石灯籠が一対あり、坐禅会の折は必ずその脇を通るため、意識せずにはいられない武士です。
明治時代になってからも変貌した日本を見ており、明治に入ってからは幕府ではなく天皇に付き従い、かつ過去のものとなりつつあった剣術で一流を建てるなど、個人的には大変好ましい人物に感じ、常日頃から尊敬しています。

先日、この山岡鉄舟が開基した台東区谷中にある全生庵に行ってきました。山岡鉄舟が明治維新に殉じた人々の菩提を弔うために創建した寺です。また、初代三遊亭圓朝の墓があり、私が参拝した8月11日には三遊亭門下が集まってイベントを行っていました。テレビでしか見たことがないような有名人もいたので驚きました。なお初代三遊亭圓朝の墓は山岡鉄舟の墓所のすぐ右脇にあります。

坐禅を始めた15,6年前に師を訪ねるために幾つかの禅寺を巡った中に全生庵もありましたが、その後数回ほど坐禅会に参加したことがあります。現在もコロナ禍から復活して通常の座禅会が行われているようです。

行った目的は寺宝である幽霊画の特別展示を観るためでした。禅宗では霊とかは存在しないというのが一般的ですが、芸術としてはあってもよいと想った次第(笑) おどろおどろしいものもあり、夏に涼を求めるにはよいと思いましたが、2,3点はため息が出るような大変美しい幽霊さんもいて感嘆いたしました。

通常は拝観料を取られるのですが、当日は三遊亭一門のイベントがあったため無料でした。
その後墓地にある山岡鉄舟の墓所に向かいましたが、すぐ脇に初代三遊亭圓朝の墓があったため、やや人が多かったよし。

今の私と同じ歳に逝去しましたが、山岡鉄舟はその歳までに幾つもの偉業や修練の結果を出していました。私などは足許にも及ばず赤面の至り、恥じること多々ありです。我が身を鼓舞するつもりで一心に参拝させていただきました。
もう少し滞在すれば三遊亭一門の落語とか行われたのかも知れませんが、かなり暑くなってきたので退散いたしました。

山岡鉄舟居士は私が生涯かけて目指すべき人物です。

令和五年葉月十七日
不動庵 碧洲齋

山岡鉄舟の墓

 

継続は力なり

ありきたりすぎてタイトルにしてよいものかどうか悩みますが、やはり重歳してきて思うのはこの言葉は偉大だということ。ズルズルと継続しているだけでもそれなりの根気が必要とされ、長ければ長いほど惰性で続けているものですらそこそこ熟練してくる場合が多い(笑)
もちろん惰性や成り行きでダラダラ継続するだけではダメですが、とにかく継続しているという事は中断する以上に何か興味があり、関心があり、労力を費やすだけの価値があると思っているから継続しているわけですから、やはり継続するということは重要なのだと思います。
私自身、20代の頃は前半に海外留学、後半に海外赴任、地方都市赴任が重なっていてほとんど稽古に参加できないことも多々ありましたが、ほとんどぶれたことがありません。
30代になってすぐぐらいからは禅も加わり一層熱を持って修行しているように思います。
気付けば武芸は37年ぐらい、禅は20年以上になってしまいましたが、まだまだ分からないこと、未熟なところばかりが目立ち、それが一層興味を掻き立てる根源になります。
武門では今まで何十人もの人が入門しましたが、残る人はごくごく僅かです。10人いて残るのは2,3人もいたら多いでしょうか。そう考えるとやはり「継続は力」というのは真実味を帯びます。
道を歩み続けるというのはそれだけに満足してはなりませんが、それなりに価値あることだとよく思います。

令和五年文月三十日
不動庵 碧洲齋

 

文月稽古所感

最近は稽古に関するブログがサボり気味になっています(笑)
7月は豪州から同門が数人来日して何度か一緒に稽古というか指南しました。
稽古中はほとんど英語になるので日本人の門弟たちにもよい影響を与えたと思います。
また、体格差も大きいために技がキチンと掛かっていないと倒せないことも理解したと思います。

守破離で言うなれば、やはりキチンと技を掛けられるまでが守でしょうか。これができるようになって初めて黒帯のレベルに達すると思います。ただし当流の場合は体格差がかなり大きい外国人もいますから、その体格差を乗り越えてキチンと技が掛かるようにする必要があります。これを乗り越えるのには私もかなり苦しみました。理合だけでなく心理だけでなくさりとて稽古の量だけでもなく(笑) 教えたくないわけではありませんが、文字通り不立文字、教外別伝のような感じです。

今は外気は40℃近く、とてもではありませんがエアコン無しでの稽古は命に関わります。幸いにも私が利用している町内会会館はエアコンがあり、大変快適に稽古ができます。邪道なのかも知れませんが昨今の異常気象を考えると積極的に使うべきだと思っています。ちなみに当流では服装もあまりうるさくなく、夏場は上はTシャツで稽古をすることが多いのです。胴着を着なければ掛けられない技はあまり実用的ではないと言えるでしょう。そもそも現代では胴着のような着物を着ている状況すら滅多にありません。

地理的問題なのか、宣伝不足なのか、なかなかメンバーが増えません。
あまり大々的に宣伝すべきものではないですし。
人が少ないとなかなか稽古しにくく。
個人的には有望な少年を育成したいところです。私は16歳で入門したのでそのぐらいの年齢の少年少女が入門してくれたら嬉しいのですけどね。さすがにこればかりは運を天に任せるしかありませんが。

令和五年文月二十九日
不動庵 碧洲齋

本文とは関係ありません、ウチの長女です(笑)

武神館 不動庵道場
【日時】2022年1月8日土曜日、14:00-16:00
【場所】谷塚上町会館:草加市谷塚上町225-1
【アクセス】東武スカイツリー線 竹ノ塚駅西口
東武バス 竹04/竹05にて約10分、又は竹06にて約15分。
バス停「谷塚上町」降りてすぐ。
駐車場あり。
入門希望者・興味ある方はご連絡ください。