不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

立志ということ

「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」
これは史記に出てくる言葉です。意味はツバメや雀のような小鳥に鴻(つまり大きな鳥)の志が分かろうはずはない、ということです。高校生ぐらいから好んでこの句をよく使っていました。ま、高校生時分は多分にヒロイズムに酔っていましたので(笑)
個人的には志の大小と言うよりも、それが理解できない思考形態を持つ人たち、と理解します。

志という語義を辞書で調べると1番目にこう出てきます。
㋐ある方向を目ざす気持ち。心に思い決めた目的や目標。「志を遂げる」「事、志と異なる」「志を同じくする」「青雲の志を抱く」
㋑心の持ち方。信念。志操。「志を高く保つ」
指向性がある志が前者で、まだ指向性を持たない志が後者だと理解しています。人によっては初めから「これで身を立てよう」とか「これで世の役に立てたい」という前者の志もあれば、後者のように将来何事か大事を成さんと胸に秘めている人もいるかと思います。三国志の諸葛孔明などはこちらでしょうか。初めに指向性がないからいわゆる「立志伝」のような類の物語が面白く感じるのでしょうね。

自分の志を理解してくれる人が多いことはとても有り難いことです。また評価してくれる人は貴重です。全くの他人でもこちらが慎んでしまうほど高く評価してくれる人がいる一方で、身内でも全く理解や評価しない人がいるのもまた事実。身内が理解してくれないことは悲しいことかも知れませんが、やはり身内であってもしょせんは他人ですから理解できないことも前提にした方がよさそうです。

志を持って世に生きているとそうでない人には埋めがたい差があると、特にここ数年痛感させられます。そして志を持つ人は志を持つ人を感じ取り、手を差し伸べてくれたり評価してくれたりします。類は友を呼ぶという言葉は真理だと思います。
私の場合、家では息子が一番の理解者、外では大志を成さんともがく自分を多くの友の手によって支えられていますが、これは毎日自覚し感謝を怠らぬよう努めています。
志を持つ者同士は夢を語れる者同士でもあると思います。月並みですがそれは魅力ある関係を持っていると言えるかもしれません。

ここ最近、ふと思ったことです。

令和六年皐月十三日
不動庵 碧洲齋