不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

老いについて

最近、「老化」についてちょっと考える機会がありました。
もちろん自分自身については時折ふと頭をよぎりますが、今回は自分の師匠の話。

先日、稽古の後に先生の運転で最寄駅まで乗せていってもらいました。
昔はよく駅まで乗せていってもらったものですが、今回はたまたまです。数年ぶりぐらいでしょうか。
私の師は今年80歳になりましたが今でもよく運転をして、長距離を運転することもあります。
80歳というと免許証返還する方もいますが、さすがに武芸を嗜んでいるだけあって運転するにはまだ十分な運動神経は保持しています。
とはいえ、あと何年運転できるかという時期には差し掛かっているのは間違いありません。
そのような不安がよぎり、ふと思った次第です。

武芸者は老いて尚、強くあれというのが一般的です。
老いのために使える体のリソースは減るものの、残されたリソースを最大限効率よく使うことでその強さを維持します。
しかしそれでもやがて体が言うことを聞かなくなることはあると思います。
そうしたら武芸者としては価値が下がるのでしょうか?

もちろん違います。
その経験に基づいた知恵を後進に伝える、これは尊い責務だと思っています。
武芸に限った話ではないでしょう。
スポーツでも現役を引退した後にコーチや監督になる人は多いです。
武芸に於いても同じです。
自分の持ちうる技術や知恵の全てを後進に伝えることで流儀の質を上げていきます。
会社でも伝統芸能でも文化でも、これあるからこそ時代を経て磨かれていくものだと思います。
これが老いゆく者の崇高な責務であり、歴史的に見てもこれこそが人間社会の営みの神髄だと理解しています。

そういう意味ではある程度の年齢になったら、若い頃からでもいいと思いますが、人に教えるというアウトプットの技術を磨いておくことは大変有意義だと思います。
あいにく私は人に何かを教えるのはあまりうまくないように感じますが(笑)
今後は今少し他人に指南できる技術を磨いて参りたいところです。

 

令和五年葉月二十二日
不動庵 碧洲齋