不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

山岡鉄舟居士

一番尊敬している武士は誰かと訊かれると、私の場合は山岡鉄舟と答えています。
彼は天保7年6月10日〈1836年7月23日〉に産まれて明治21年〈1888年〉7月19日に53歳で亡くなりました。
丁度今の私と同じ年齢です。
彼は32歳の時に明治維新を迎えており、徳川幕府では幕臣として、明治以後は明治天皇の侍従として活躍しました。古い時代と新しい時代、あるいは幕府と朝廷両方を知った人物です。
禅では在家ながら印可を受けた居士であり、剣術や書道においても達人でした。明治に入ってから一刀正伝無刀流という流派を建てました。江戸時代の遺物として廃れ始めていた剣術で一流を建てたあたり、彼の気概を感じます。
山岡鉄舟の逸話については数多あるので割愛しますが、私が16年以上通っている川口市芝の長徳寺にも山岡鉄舟は若い頃に良く通い参禅していました。寺には本人が寄進した石灯籠が一対あり、坐禅会の折は必ずその脇を通るため、意識せずにはいられない武士です。
明治時代になってからも変貌した日本を見ており、明治に入ってからは幕府ではなく天皇に付き従い、かつ過去のものとなりつつあった剣術で一流を建てるなど、個人的には大変好ましい人物に感じ、常日頃から尊敬しています。

先日、この山岡鉄舟が開基した台東区谷中にある全生庵に行ってきました。山岡鉄舟が明治維新に殉じた人々の菩提を弔うために創建した寺です。また、初代三遊亭圓朝の墓があり、私が参拝した8月11日には三遊亭門下が集まってイベントを行っていました。テレビでしか見たことがないような有名人もいたので驚きました。なお初代三遊亭圓朝の墓は山岡鉄舟の墓所のすぐ右脇にあります。

坐禅を始めた15,6年前に師を訪ねるために幾つかの禅寺を巡った中に全生庵もありましたが、その後数回ほど坐禅会に参加したことがあります。現在もコロナ禍から復活して通常の座禅会が行われているようです。

行った目的は寺宝である幽霊画の特別展示を観るためでした。禅宗では霊とかは存在しないというのが一般的ですが、芸術としてはあってもよいと想った次第(笑) おどろおどろしいものもあり、夏に涼を求めるにはよいと思いましたが、2,3点はため息が出るような大変美しい幽霊さんもいて感嘆いたしました。

通常は拝観料を取られるのですが、当日は三遊亭一門のイベントがあったため無料でした。
その後墓地にある山岡鉄舟の墓所に向かいましたが、すぐ脇に初代三遊亭圓朝の墓があったため、やや人が多かったよし。

今の私と同じ歳に逝去しましたが、山岡鉄舟はその歳までに幾つもの偉業や修練の結果を出していました。私などは足許にも及ばず赤面の至り、恥じること多々ありです。我が身を鼓舞するつもりで一心に参拝させていただきました。
もう少し滞在すれば三遊亭一門の落語とか行われたのかも知れませんが、かなり暑くなってきたので退散いたしました。

山岡鉄舟居士は私が生涯かけて目指すべき人物です。

令和五年葉月十七日
不動庵 碧洲齋

山岡鉄舟の墓