不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

終戦78年に想うこと

先の大戦から78年が過ぎました。
終戦時に20歳だった人も98歳です。
各線戦においてある程度戦歴を重ねたベテランは多分、ほとんどが100歳を超えているでしょう。
そしてその数はもう数えるほどでしょう。
中学校時代と高校時代だったか、新聞の記事に日清戦争最後の元従軍軍人と日露戦争最後の元従軍軍人が死去したという記事を読んだことがあります。
あと20年もすれば確実に大東亜戦争の従軍経験者は全て死去すると思います。

 

思うことがあります。
前世紀終わりぐらいからだったと思いますが、日本で「戦争体験者」というとそのほとんどが戦場ではなくて、空襲被害者とか銃後の生活を語る人を指すことが多くなってきました。戦場で戦闘をした方の体験談は非常に割合が少ないですね。とはいえロシアの歴史博物館でも戦災被害者の紹介が多かったように思います。ドイツなどではどうなのでしょうか、興味があります。

 

世界ではまだ戦争が続いています。
愚かにもロシアは前世紀的な侵略戦争をこの21世紀に大々的に行っているというのですから呆れます。
大義は完全にウクライナにあり、ロシアに非がありますが、西側陣営はここぞとばかりに各種最新兵器を投入して、実験をしている風にも見えます。ロシアでも毎日500人前後の軍人が戦死していますし、多分ウクライナでも結構な数の軍人や民間人が死んでいると思います。


ほとんどの先進国や中興国でも未だに「戦死」があります。先の大戦で同盟国であったドイツでも実はあります。ドイツは国連主導の軍事作戦にも参加しているので、ごく少数ですが本当に紛争地帯で亡くなった軍人や警察官がいます。以前私はドイツ人同門で元警察官という方に、アフガニスタンで受けた銃撃ということで右胸上部の銃創を見せてもらいました。「北斗の拳」のケンシロウにある胸の傷とそっくりだったのが衝撃的でした。よく死ななかったものです。
私は湾岸戦争当時米国に留学していましたから、その町の出身の兵士が戦死した折、送葬パレードを見て衝撃を受けました。

 

翻って日本では基本的に78年間戦争がなかったので当然ながら戦死者がいません。確かに世界から観れば国連にお金だけザクザク出して、人を出さないという国は些か卑怯にも見られます。平和主義であることはいいとして、不戦主義であることは相手が敵対しないことが前提です。相手が攻撃してきてもされるがままであることが日本国憲法の本質で、拡大解釈、或いは曲解したものが自衛隊の存在です。つまり、国際間においては平和を貫くためにも普通は人が死にます。人も死なない、殺させない、武器も買わない、売らない、それで平和が保てるのはドラマだけです、いや、ドラマでも難しいでしょうか。超絶的、卓越した外交のプロが何人もいたらもしかするとかなり防げるかも知れませんが、確実に言えることは今の日本政府にそういう類の政治家はいないことははっきり断言できます。なので軍事力なくして平和は、今のところは無理なのです。

 

1万歩譲って、未だ日本が戦争について「最新」であるものもあります。それは「原爆攻撃」です。核兵器の使用は78年前の1945年8月9日以後世界のどこでも起きていません。現在に至るまで世界で広島と長崎以外で核兵器を使用されたことがありません。
昨今、広島の平和記念資料館に行った多くの外国人が強い衝撃を受けた、とか記事になっていますが、それを見て喜んでいる日本人が多いことに私はある意味衝撃を受けます。


日本国憲法前文ではしつこいぐらいに不戦と平和を謳っているのに、この78年間、日本でしか受けていない核攻撃の脅威を何も発信しなかったのですか?
これに驚きます。広島市民や長崎市民だけが声を上げても全然ダメです、全国民が発信するだけでも足りません、政府が核兵器の脅威を強く主張しなければならないはずなのに、一体全体この78年間日本人は何をしてきたのかとまずそこに呆れます。(微力すぎる自分にも自戒を込めて)
私は武門に入ってからは国際色豊かだったため、30年以上その立場を機会があれば都度主張してきましたし、SNSやインターネットでも英語でその旨繰り返し主張してきました。しかし日本人からの発信は悲しいぐらいに少ないですね。日本語で日本人相手の自国礼賛といった下品なものばかり。

 

国際社会ではやはり信念や志はある程度主張しなければ受け入れてくれません。
核兵器廃絶は間違いなく正しいことですから日本人の口から強く主張して貰いたい。
最近はYouTubeなどを見ていると、自国礼賛モノ、日本が素晴らしいところの紹介などが人気を博していますが正直吐き気を催します。外国人たちによる日本の紹介などはそれはそれでとてもありがたいのですが。

 

私の生まれ育った世代における戦争教育は、色々なところで言われているようにかなりいびつです。それは日本国憲法や自衛隊を見れば分かるように、完全にガラパゴスです。そもそも自衛隊とて日本国憲法が施行されてから4年とかからずその前身である警察予備隊が米軍の命令とは言え(これは笑えますが)設立されたことから、敗北したとは言え主要国が軍事力がない状態というのはありうべからざる状況であることは分かっていたはずですが、米国の庇護の元、最近まではだましだまし日本を運営してきました。

 

国民総動員で世界平和の為に何かしら世界に発信したいところですが、日本国民に於ける英語の普及率の低さは格別です(笑) 平和憲法を唱えながらこれですから呆れます。軍事力というのは平和維持に於ける最後で最悪のオプションであっても整備維持すべきものですが(そして今の自衛隊のそれは全然足りていない)、そもそも論で、日本人は世界で唯一行われた核攻撃の事実をよく学び、平和を訴えることをせねばなりませんが、その前に英語を話すということも含めて国際的な人とならねばならないと思います。

 

令和五年葉月十五日

不動庵 碧洲齋