不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

望みを抱いて

私が卒業した高校は入学時はまだ創立されてから7年ぐらいでまだ新しかったのですが、校舎にこのような言葉が掲げられていました。

「望みを抱いて喜び艱難に耐える」

出典について一度だけ校長が言及しただけでしたが、とても印象深かったので良く覚えていました。出典は新約聖書、 ローマ人への手紙 12:12からでした。

聖書自体はかなり読んだ方だと思います。洋画や海外の小説、ドラマでよく引用される言葉として一番多いのが聖書の言葉です。16歳から入門した武芸でも外国人の方が圧倒的に多かったのでやはり彼らの精神世界を知るためには聖書を理解する必要がありました。英語版も一度読んだことがあります。これは結構大変でしたね。実際読んでみるとさすが多くの人に読まれているだけあって金言が盛りだくさんあります。信者になったわけではありませんが、今なお読み返したり引用することがあるほどです。

さて、「望みを抱いて喜び艱難に耐える」この言葉について高校時代はもちろんのこと、20代になってもあまり共感した記憶はありませんでした。ただずっと心の中では引っかかってはいました。

人生においてこの言葉に重みを感じたのはいつだったか、多分40代になったことではないかと思います。きっかけのようなものはありますが、色々あって伏せておきます。昨今下らないことで詮索する蒙昧な向きも少なからず(笑)

「望みを抱いて喜び艱難に耐える」
私はこのように理解します。この世に生を受けてきた自分が世のため人のために何ができるのか、何をすべきなのか理解して志とする、これが『望み』の言わんとするところではないかと思った次第。世の多くの人は志を持って生きているわけではないと思います。もしかすると半世紀前、1世紀前よりもずっと少ないかも知れません。あまり豊かになりすぎると志を持つのが難しいというのは本当でしょうね。社会が貧しかったり、国が困難に有る時にこそ、各々自分の使命に目覚める、そんな気がします。
そしてその悟った志を遂げるためであれば人はいかなる艱難にも耐えうる、そう言うことではないかと思います。

できたら世のため人のための方がいいのですが、他人に危害を加えない、社会の調和をかき乱さない限りは野心や大志は大いに持つべきだと思います、特に若者。そして一旦、我が成すべき事を悟ると自分の想像を超えていかなる困難にも耐えうることが多い。人はこのようにできているものだと最近は感じます。

私も今、自らの使命に気付き志を持ち、それに向っている状態です。
人には必ず何らかの使命が課せられていると思います。そしてその多くはそれを知らないまま生涯を終えてしまいます。なのでこれを読んでいるあなたにも素晴らしい使命が託され、それに早く気付けるよう祈っています。

令和六年卯月三日
不動庵 碧洲齋

卒業校のサイトから借用