不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

小幡さくら祭り

昨日は群馬県甘楽町の小幡さくら祭りに同門と参加して参りました。
あいにく桜の開花が間に合わず、桜なしの祭りでした。残念。去年やコロナ禍前のここ最近の祭りでは大抵咲いていたのですが、久々の空振り。
しかしながら気温は高めで甲冑装備を終えたあとはもうすでに暑く、先が思いやられました。
同門の甲冑は今回、兜を着けずに烏帽子にして、陣羽織を羽織らせたところまずまずの衣装と相成った次第。

特筆すべきは今年の織田信雄公役。織田信雄公は織田信長の息子で晩年は徳川家康に組みしてこの小藩である小幡藩に腰を落ち着けました。ここには現在でも大変素晴らしい日本庭園がありますが、これはこの頃既に出家していた織田信雄公がデザインしたものだとされています。

今回盛り上がったのは去年「どうする家康」で織田信雄公を演じた浜野謙太さん。戦の才能はないものの上手く世を渡りきり、ドラマでは「わ・ぼ・く」を連発していました(笑) 条件にもよりますが私もガチバトルよりもできたら和睦の方がいいと思います。

パレードのルートは去年と同じで、まず北上して小幡八幡宮まで1キロ、そこで一般は休憩をして主要メンバーは御祈祷を行います。この時丁度乗馬するハマケンさんを至近で拝見しましたが、親しみやすそうな方でした。

神社から今度は南下して織田氏7代の墓所がある崇福寺まで行軍、2キロ近いのでこれが結構疲れます。この織田氏7代の墓所はコロナ渦中に整備され、それ以前はこのコースはありませんでした。墓所はきれいに整備されていて、今のところお堂に入った墓所が7基と広い広場があるだけで何もありませんが、今後は何か作るのでしょうね。ここでも休憩が入り、お茶とかりんとうまんじゅうを頂きました。このかりんとうまんじゅうはこの辺りの名産で、まんじゅう自体は見た目温泉まんじゅうですが、底の部分がカリッとしていて食感がくせになります。また疲れているので甘いものはありがたい。

そして底から会場まで、距離にすると800mぐらい。しかも墓所が少し小高い丘の上だったので底から下り、さらに道の下を流れる川沿いのため更に下り道なので楽。
今回さらに変わったのがイベント。いったん集合して自前甲冑武者はその後は自由参加で三献の儀とか寸劇とか砲術演武とかを見ることができるのだが、私は疲れていたので早々に退散。会場から車があるところまでやはり800m以上を歩きました。その途中、有名な日本庭園楽山園を通るので中で数枚撮影、しかし桜がないのでいささか興に欠けます。

時代祭り最大の快感は「甲冑を脱ぐとき」(笑)
今回初めてこのようなイベントに参加した同門曰く「甲冑を着終わるまでに戦のバカバカしさが理解できる」(笑) いや、全くです。甲冑を着込んで1日行軍したら本当に戦争なんてやりたくなくなります。戦国時代の人たちは本当に狂気の中にあったのか、狂気の中にあった領主に泣く泣く強制されていたのか・・・。

着替え場所の体育館で恒例の鶏飯弁当を受け取りました。いつもながら大変おいしく頂きました。ここ最近の時代祭りの弁当ってホントに安くなってしまいましたね。ここだけはなかなかのクオリティーです。

着替え終えて弁当を食べて帰路に就きました。

令和六年卯月朔日
不動庵 碧洲齋

昨年の大河ドラマ「どうする家康」で小幡藩の藩祖で織田信長の次男、織田信雄を好演した浜野謙太殿

楽山園に張られた陣幕前にて