不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

渋沢栄一の故郷

土曜日は息子と二人で深谷市に行ってきました。
現在大河ドラマで放送されている主人公、渋沢栄一の故郷です。
同じ埼玉県とは言え草加市は東京に接しており、方や深谷市群馬県と接しています。
2時間弱かかりました。
今回車は珍しく軽自動車ではなく、日産ノートeパワーを借りましたがさすが次世代の車だけあって驚くほど快適な乗り心地でした。燃費としては200キロ少々走ってガソリン9L、高速道路では120キロ近い速度でずっと走ったので若干燃費が悪かったと思います。もう少し抑えたら燃費が良くなっていたのでしょう。いずれにしてもモーターの加速というのはガソリンに較べて大変快適でした。

最初に立ち寄ったのは渋沢栄一記念館、公民館と併設ですがずいぶんと立派な建物でした。建物の半分が資料館になっています。渋沢栄一の色々な資料が展示されていて大変興味深かった。色々説明をしてくれる係員のおじいさんがいたのですが、渋沢栄一命みたいな方で、かつずいぶん保守的な方で欧米人のやり方をずいぶん非難してました(笑) ま、私と息子は「はいはい」と聞き流していましたが、まさか私や息子が平均よりもずっと国際的な関係を持っているとは思わなかったでしょう(笑) おじいさん、できたらもっと外国人と交流を持つことをお勧めするよ。多分渋沢栄一もそう言うと思う。ただ地元の方全般に言えますが、渋沢栄一は郷土の誇りとして今なおかなり尊敬されているというのはよく分かりました。

f:id:fudoan_hekiganroku:20211226160128j:plain

大変興味を引いたのは渋沢栄一のアンドロイドによる講義。本物ソックリのアンドロイドで、しかもしゃべらないときでも微妙に体を動かすので本当に生きているかのようです。去年7月から運用を開始したそうです。いわゆる「不気味の谷」を越えているんじゃないでしょうか。しゃべることに違和感や不気味感は感じられませんでした。ただ音声が滑らかでなかったのが残念。今の技術ならもっと自然に話すことは不可能ではないはず。ちなみにここまで精巧なアンドロイドは世界に40体程度しかなく、そのほとんどは大学の研究施設で使われているのみで、民間に於いて観光に利用されているのはこの渋沢栄一と場所は忘れましたが夏目漱石のアンドロイドの2体だけだそうです(ちなみに同じメーカー)。これをAIなどに接続したらもっとおもしろいと思うのですが。

f:id:fudoan_hekiganroku:20211226160154j:plain

その次は渋沢栄一の生家。大河ドラマ「青天を衝け」に出ていたのはオープンセットですが、本物の家も概ね同じ感じです。バックに群馬県の山並みがすぐ近くに見えるのが大変素晴らしかった。ただし中に入ることはできません。まずまずの豪農というところでしょうかね。

f:id:fudoan_hekiganroku:20211226160338j:plain

その次は渋沢栄一が創建した煉瓦工場。工場で生産された煉瓦はほとんどが政府の建物や鉄道設備に納入されました。東京駅に使われた煉瓦もここで作られました。ちなみに東京駅に使われた煉瓦の数は約800万個だそうです。ただし現在、煉瓦工場は耐震補強工事が行われていて見学できません。見学できるのは旧事務所だけです。工事は2024年に終わるそうです。

最後に回ったのがNHK大河ドラマ館。深谷市公民館を借り切って使われているようですが、こちらは映画で使われた小道具類やセットがそのまま展示されているので大変興味深かった。各出演俳優のサインがずらっと並んでいたのですが、北大路欣也さんのサインはサインというより花押だし、右下(笑) 

実は私ははじめて大河ドラマのテーマ館というものに来ました。これは本当に面白い。ちなみに入り口では現地の特産料理「煮ほうとう」が振る舞われていたのですがこれがなかなか美味しかった。ほうとうと言うと普通は山梨県が有名ですが、あちらは味噌汁であるのに対して、深谷市の煮ぼうとうは関東圏のうどんやそばと同じように醤油だし汁になっています。あっさりしていて美味しかった。

f:id:fudoan_hekiganroku:20211226160221j:plain

深谷を離れる前に昼食はその煮ぼうとうを食べました。

f:id:fudoan_hekiganroku:20211226160313j:plain

 

令和参年臘月二十六日
不動庵 碧洲齋

戦争のリアリティー

「戦争体験者の話を聞く」今となってはこれは「戦時中に生存していた人たちの体験談を聞く」ぐらいの意味になっているように思います。先の大戦当時に実戦に参加した人が20歳だったとしたら、現在は96歳、士官学校などを出て、数年従軍したというレベルの士官クラスだったら多分100歳より若い人はいないのではないでしょうか。

つまり現代日本に於いて、本当の意味で戦争を体験した人に会うことは極めて難しくなってきました。私ぐらいの世代で言えばいつの間にか従軍体験者がいなくなってしまった、そんな感じです。
私の親族には徴兵、あるいは志願して戦場に行って帰ってきたという人がいませんでした。母方の祖父は戦死、父方の叔父がそれぞれ士官学校在学中に終戦と、憲兵隊士官で終戦という感じでした。
故に私は機会があるとよく老人たちから戦時中の話などを聞いたものです。

昨今危惧を覚えることがあります。どなたかが言っていたことだったと思いますが、人は戦争から距離的時間的に遠ざかるほど、好戦的になるという事。私は保守系を自負してますが、限りなく中立に近い方です。現在の状況を鑑みて軍備増強も止むなしと思いますがかなり反戦的でもあります。理由は簡単で現代では例えば経済制裁を加えるだけでもかなり手痛い損害を与えることができ、しかも戦争は世界的信用を失墜させる可能性や事後の経済活動の在り方を考えると、本気で火蓋を切る国がどれ程あるのか疑問です。特に中興国や先進国で。まあ、アメリカなどは割と好き放題やってますが、それでも世界世論を無視したら大変です。

実は私は米国やその他の国でも先の大戦の従軍体験者と何度か話したことがあります。朝鮮戦争ベトナム戦争湾岸戦争はもちろん、中東の各地域での従軍、中南米の紛争などに従軍した人とも話を聞いたことがあります。ドイツ武友の1人は元警察官で、中東で国連平和維持活動をしていたときに銃撃を受けて、右胸を銃で撃たれた経験がありました。銃創なるものは初めて見ましたが、ホントにケンシロウの胸の傷のような形の傷だったので驚きました。

体験談はもう長きに亘って聞いています。現代の戦争に従軍している人から戦争体験記を聞く、他の先進諸国では珍しいと言うほどのこともないことであるということに、多分多くの日本人は驚くかも知れません。そう、海外では今でも戦争に参加している人がいます。
ちなみに私はオレゴンにいたとき、ランボーみたいな生活をしている人とも少し話したことがあります。ホントに山奥のトレーラーハウスにベトナム帰還兵で厭世的になってしまったか、精神的におかしくなってしまったため、離れたところで集団で住んでいたりするんです。もういい歳のおじさんが多かったですけどね。留学して二人目のルームメイトのお父さんもベトナム戦争に従軍してました。家に遊びに行った折、ガレージの工具箱の中にあった銃剣を発見して物珍しそうに私が見ていると、言葉少なげに「ああ、昔行ったんだよ」と寂しそうな遠い目をして言ったのがとても印象的でした。

私には本名の他にほぼ本名に準じる英名を持っています。Bruceと言います(笑) 30年近く前に一緒に稽古をしていたアメリカ人に「お前はブルース・リーに似ているからオレはお前をブルースと呼ぶ」とニコリともせずに言ってからそうなりました(笑) その方はなんとグリーンベレーの隊員でした。彼は間もなく除隊して予備役になり、ビジネスをはじめました。同門には軍人や警察官が多く、10代の頃からそういう大人と稽古をしてきたので、まあ、大抵のことでは驚かなくなりましたね。特に対人関係の脅迫というのか脅しには全然恐れなくなりました。アフガンから満期除隊で帰国途中に日本で稽古する、という兵士らの雰囲気は本当に恐ろしいものがあります。ま、ここ10数年は軍人や警察官というのは減ってきましたが。

そういう方々が口を揃えて言うのは「戦争ほど酷いものはない」です。カッコイイ活躍をしたり、名誉ある行動を起こしてどうにかなる、というのはホントにドラマで、実際はその日1日を何とかやっとしのいでいく、それが精一杯だとか。後味が悪いこともたくさんあって嫌な事が多かったと言う事です。日本で日本人の戦争体験者から話を聞くというのは、戦後何十年も過ぎてからの話、体験には色々フィルターやバイアスが掛かってしまっています。綺麗に整理された話が大半です。そういう意味で日本人が生の戦争体験を聞く機会というのはほぼ皆無だと言っていいでしょう。そういう社会に生きているとある意味戦争に対して好戦的になってしまうのは致し方ないと言いたいところですが、そこは日本民族としてもう少し賢くなってもらいたいと思います。

殺されても殺さない、というレベルの反戦主義者になれというわけではもちろんありません。ましてや今の自衛隊の在り方がいいとも思っていません。ただ実際に戦火を開かねばならなくなったとき、すでに76年も戦争がない国の国民の心構えというか決意を、今ひとつ点検してみてはいかがかと思う次第です。

 

令和参年霜月二十五日

武神館 不動庵道場

不動庵 碧洲齋

f:id:fudoan_hekiganroku:20211125114145j:plain

《お知らせ》

武神館 不動庵道場 開庵
【日時】2022年1月8日土曜日、13:00-15:00
【場所】谷塚上町会館:草加市谷塚上町231-1
【アクセス】東武スカイツリー線 竹ノ塚駅西口
東武バス 竹04/竹05にて約10分、又は竹06にて約15分。
バス停「谷塚上町」降りてすぐ。
駐車場あり。
入門希望者・興味ある方はご連絡ください。

アドルフ・ヒトラー

先ほどなにげにアマゾンプライムで映画「帰ってきたヒトラー」という作品を観ました。2014年ドイツで作られた作品です。名前は知ってましたが実際に観たのは初めてでしたが、かなり衝撃的な作品でした。


単純にヒトラーが何らかの理由で現代にタイムスリップしてきて、現代のギャップに戸惑う前半はブラックジョークの効いたコメディー調でしたが、後半はリアルなドイツの現状を痛切に批判したドキュメンタリー風サスペンスと言ったところでしょうか。移民問題に苦しむドイツ国民のナマの声を聞いた気がします。笑えませんでした。


劇中でヒトラーが言っていることにはブレがなく、純粋にドイツのことを慮ったことを語っていて、別段悪いことを言っている訳ではありません、多少の語弊を恐れずに言えば。強いて言えば民族主義が強いと言うぐらいです。ヒトラーの主張することにいちいち考えさせられました。


近代戦争に関して言えば数百年前の戦争と違って、基本国民が納得して支持したものしか実行に移せません。先の大戦でも昭和天皇がはじめたとか言われますが、何のことはない、昭和天皇は議会が持ってきた決議について御名御璽をしただけです。制限があったとは言え当時も選挙で選ばれた議員で構成された帝国議会です。署名を断ったらそれこそ民主主義ではなくなります。それを言うなら昭和天皇は議会を通さず独断で停戦を決めましたからそれこそ本来は非難されるべき、ということになってしまいます。まあ、そのディレンマにGHQは頭を痛めたようですが。


映画の最後の結末がちょっとホラーだった(笑)
おすすめの映画です。

 

令和参年霜月十三日
武神館 不動庵道場
不動庵 碧洲齋

f:id:fudoan_hekiganroku:20211113201238j:plain

《お知らせ》

武神館 不動庵道場 開庵
【日時】2022年1月8日土曜日、13:00-15:00
【場所】谷塚上町会館:草加市谷塚上町231-1
【アクセス】東武スカイツリー線 竹ノ塚駅西口
東武バス 竹04/竹05にて約10分、又は竹06にて約15分。
バス停「谷塚上町」降りてすぐ。
駐車場あり。
入門希望者・興味ある方はご連絡ください。

母の命日

そういえば本日は母の命日でした。
1999年11月4日の夕刻か夜だったでしょうか。
昭和15年11月12日生まれで享年57歳でした。あと数日で58歳でした。
そうすると23回忌になるでしょうか。
戦時中に祖父が戦死して、戦後は大変貧しい暮らしをしていましたが、よく祖母を助け父と出会った後は
まずまずいい暮らしをしたと思います。

戦後の苦しい時代については色々話しを聞きましたが、母の他界後に日記に記されていた「お父さんが生きてさえいれば!」この言葉に集約されていると思います。

もう22年になるのか、というか、あと5年で私の年齢は母が他界したときに並びます。母の体験はなるべく息子にも話しています。戦争をくぐり抜けてきた人たちの経験談は決して絶やしてはいけないと思うからです。

 

令和参年霜月四日

不動庵 碧洲齋

f:id:fudoan_hekiganroku:20211104145758j:plain

祖父が戦地に持って行くために撮影したと思われる写真。右が母(3歳)

 

お知らせ

武神館 不動庵道場

【日時】2022年1月8日土曜日、13:00-15:00

【場所】谷塚上町会館:草加市谷塚上町231-1

【アクセス】東武スカイツリー線 竹ノ塚駅西口
東武バス 竹04/竹05にて約10分、又は竹06にて約15分。

バス停「谷塚上町」降りてすぐ。
駐車場あり。

入門希望者・興味ある方はご連絡ください。

潜水艦

今、GYAOでアニメ「ジパング」を観ています。かわぐちかいじさんのマンガは政治にしても軍事にしてもかなり細かく、引き込まれます。今回は米海軍航空隊がイージス艦みらいを攻撃する話でしたが、実際伊19号のサボタージュがなかったら苦もなく全機撃墜していたでしょうかね。とはいえ、当時の軍用機1機墜とすのにミサイル1発ってかなりコスパが悪い気がします。(笑) 多分ミサイル1発であちらの爆撃機が10機以上買えるんじゃないでしょうか。主砲弾とCIWSだけで墜とせなかったものでしょうか。なんて、戦争でそんなことも言っていられないか。


隊長機のミラクルな攻撃には驚かされましたが、ドーントレス、急降下を掛けてある程度慣性力が掛かってはいたものの、20mm機関砲の弾丸を受けたら普通あんな風には持ちません、木っ端微塵に吹っ飛びます。


副長と柳一曹が囚われていた伊19号潜水艦は伊15型潜水艦として戦前から戦中に掛けて20隻も建造された日本の主力潜水艦です。そして潜水艦には小型水上偵察機が搭載されていて、伊17はアメリカ西海岸を砲撃、伊25は現在のところ世界で唯一、米本土爆撃に成功した戦功があります。ま、爆撃と言っても30キロ爆弾を2発、それを2回ほどオレゴンの森林に投下してしかもそれは失敗してしまいましたが。例えばドイツのUボートに較べると巨大潜水艦でした。もちろん潜水艦に航空機を搭載したのは世界で唯一日本海軍だけでした。


作中で伊19号潜水艦がみらいに魚雷攻撃を仕掛けるというブラフがありましたが、柳一曹が電池切れと言ってました。私自身あまり当時の潜水艦がどのくらいの速度でどのくらい潜航できたのか、あまりよく覚えてませんでしたがWikiで調べてみてビックリ、当時の潜水艦は「潜水することもできる船」程度ですね(笑)


この伊19号潜水艦の潜航中のバッテリー航行はたったの3ノット(時速5.5キロ)ですら約180キロ程度の航続距離、水中全速力の8ノット(時速15キロ)だったら多分半分以下ではないでしょうか。当時の蓄電池などは現代と較べたらオモチャみたいなものでしたから。ただ作中で言っていたように2時間の全力航行で電池切れになるかどうかは分かりませんでした。あり得るのかなというレベルでしょうか。まああの場面では艦長の采配があったと思います。


ちなみに現在海上自衛隊の主力潜水艦であるそうりゅう型潜水艦のスペックは水上13ノット、水中20ノット航続距離は11300kmとありますが、どちらの機関なのかは分かりません。ただし連続潜航日数は2-3週間と原子力潜水艦にも匹敵します。ここまで連続して潜水できる通常型潜水艦は他国ではほとんどないようです。つまり自衛隊の潜水艦は通常動力潜水艦ではギリギリいっぱいの性能だと言えます。水上速度だと伊19の方が速いですね、24ノット近く出ます。これは船の形によるもので、現代の潜水艦は潜航したときにこそ最高速度が出るように設計されているためです潜行深度は伊19は100mでそうりゅう型は極秘です。ただ推定では600mとか900mとか言われています。各種センサーやソナー類も現代では桁違いの性能ですから一概には比較できません。


私は今まで記念艦になっている潜水艦に4回乗ったことがあります。
シカゴの産業博物館にあったUボートコネチカットにあったノーチラス号、NYイントレピッド博物館のSLBMが実用化される前の戦後の潜水艦、そしてサウスカロライナの戦時中の潜水艦です。ノーチラスはさすがに広々してましたね、現代では既に旧式になっているはずですが、それでも想像以上には広かったです。Uボートは内部のベッドや机に木材が使われていて大変優雅でした。現代の技術なら不燃化にできるはずですから木材の調度品を使用することは精神衛生上いいことだと思います。NYでは乗艦前のテストとしてある程度の狭さの穴があり、それを通り抜けないと潜水艦に乗れないというのがあったのですが、太ったおばちゃんが抜けなくなってしまい申し訳なかったのですが笑ってしまいました。SCの潜水艦は多分ガトー級だったと記憶しています。日本の潜水艦もこの程度の広さだったのかなと想像が付きました。いずれにしても潜水艦に乗るというのはかなりのストレスで、記念館ですら閉所恐怖症になりそうでしたから戦争のために搭乗するのは相当な強者です。私には無理ですかね。

 

令和参年長月三十日

武神館 不動庵道場

不動庵 碧洲齋

f:id:fudoan_hekiganroku:20210930092950j:plain

 

76年の節目

本日は9月2日、日本では先の大戦が終わった日は昭和天皇玉音放送が流された8月15日としてますが、連合国のほとんどの国では東京湾にやって来た米戦艦ミズーリ号の艦上にて降伏文書調印に署名された本日9月2日を以て大戦終結としています。海外では戦勝記念日といわれることが多いようです。日本では終戦記念日、なかなか面白い対比ですね。

明治維新から現在まで、日本が関わった戦争は全部で4つ(数え方にもよりますが)。最初が日清戦争、次が日露戦争、そして第1次世界大戦、最後がこの第2次世界大戦です。4回参戦して負けたのは1回ですから勝率で言えば悪くないはずです(笑) 単独対戦だと第1次世界大戦が消えますが、ご存じの通り清帝国ロシア帝国も、そしてアメリカ合衆国も日本を遥かに凌駕する国でした。その中でアメリカにだけ負けたと言う事です。惜しいと言いたいところですが、日露戦争の卓越した外交政策、情報戦、経済政策、戦略、戦術と較べると、第2次世界大戦はまるで先祖返りでもしたかのように(いえ、先祖返りと言うよりは外道に外れたと言うべきでしょうか)常識的に考えられないような愚かな戦術を採用して、しかも原子爆弾を2発も落とされてから降伏したという、何とも腹立たしい負け方でした。軍人の皆さんは日清日露の戦いで傲慢になってませんでしたかね。
ただ、恥じることはありません。アメリカなんか自国よりもずっと小さなベトナムアフガニスタンでも敗退してますから。

近代に入ってから、基本的には経済的に国力が大きい国が勝ちます。故に日本の在り方はかなり例外です。というか19世紀目線で考えればアジアで開国したばかりで非基督教でずっと独立を保っているということ事態が人類史上例外と言えます。その上、人類史上最古の国家ですからかなりユニークな存在であることは疑いありません。

ご存じでしょうか、明治元年から第2次世界大戦終結まで、丁度76年、そしてその終戦から今年までがやはり同じ76年になります。戦後間もなくまで、江戸時代生まれの方がまだ存命だったということですね。何か不思議な感じがしますが、江戸時代生まれの方からしてみたら、それはもう激動なんて言葉が生易しく聞こえるほどだったことでしょう。妻の祖父母が数年前に100歳で他界したのですが、産まれたのが大正時代、当時50歳ぐらいよりも上の方は皆、恐るべき事に江戸時代生まれです(笑) で、その感想を聞いてみたことがあります。祖父母が子供の頃の老人たち、つまり江戸時代人は全く以て別格の人たちだったようです。忍耐強さ、優雅さ、勤勉さ、厳格さ、すべてにおいて大正時代人とは比較にならないほどだったとのことでした。大正デモクラシーに世間が湧いていた時代、江戸時代の人たちはどう感じたのでしょうか。

明治維新先の大戦の敗戦も日本人のアイデンティティーを大きく揺るがす事件でした。この2つは間違いなく日本人の考え方を根底から揺るがしたと思います。しかしそれでも根底が断絶しなかったのはさすがだとは思いますが(笑) そして去年と今年、コロナ禍も十分に今までの在り方を再考させられる事件だったと思います。世界での日本の在り方、日本社会の在り方など、今後色々影響を与えていくことだと思います。
また戦後76年間、日本が戦争に関与しなかったことはこれはかなり素晴らしいことだと思います。これはまず誇れます。ただ今後、あまりがんじがらめにし過ぎた自衛隊にはもっと柔軟に行動してもらわないと、日本の安全が守られないような気がします。

今朝、ふとそのように思った次第でした。

令和三年文月二日
武神館 不動庵道場
不動庵 碧洲齋

 

f:id:fudoan_hekiganroku:20210902065919j:plain

 

君が代

この夏はオリンピックやパラリンピックで国歌を聴く機会が多かったと思います。
それについてちょっと。

君が代
千代に八千代に
さざれ石の
いわおとなりて
こけのむすまで

法律でこの歌が国歌だと明言してませんが、事実上の国歌です。
これは1869年、明治2年に英国軍軍楽隊教官だったジョン・ウィリアム・フェントン氏が日本に国歌がないことを憂いて作曲を申し出たのが始まりとされています。採用されたのは1880年、12年も経ってからになりますが、その12年、練りに練って検討されたのだろうと想像します。

歌詞は西暦905年に編纂された日本初の勅撰和歌集である「古今和歌集」の中の、読み人知らずの句からでした。古今和歌集は第60代醍醐天皇の勅命によって作られました。
それにしても西暦905年にしてすでに皇統は60代を数えます。日本の歴史の古さに改めて敬意を持たずにはいられません。
古今和歌集はそれ以前に編纂された万葉集に漏れた和歌を改めて載せたものですが、リターンマッチというか、漏れた句の中にも素晴らしいものがあったのですね。ちなみに万葉集がどのような経緯で作られたのか分かっていません。勅撰和歌集だったのかどうか、いつ作られたのか、今となっては古すぎて分からないのだそうです。日本の歴史は恐るべきものがあります。

当然のことながらこの「君が代」、世界で最も古い国歌と言われています。また、短歌をほとんどそのまま使ったことから世界で最も短い国歌でもあります。
それにしても伝統ある国家の国歌が読み人知らずの句というのは驚きです。これを書いた1300、400年前の方はさぞや驚いたことでしょう。
万葉集でもそうですが、読み人知らずの句にもなかなか味わい深いものが多くあります。そんな大昔から庶民がこぞって短歌を書くというのも驚きなら、その当時の朝廷と庶民の距離の近さにも驚かされます。現在でも優れた短歌が選ばれた場合、一般市民の作者は皇居に招かれて両陛下の御前で披露する行事がありますが、恐らく古今和歌集が作られていた当時でも似たような行事があったのかも知れません。微笑ましいですね。

君が代は仮にも一大国の国歌ですから公式英訳があります。Wikiには直訳と意訳が掲載されていますが、取り敢えず直訳はこんな感じです。

May your reign
Continue for a thousand, eight thousand generations,
Until the tiny pebbles
Grow into massive boulders
Lush with moss

おおむね意味は合ってますが、たった一点、しかし重要な違いがあります。

それは英訳には"Continue"(続く)という単語がありますが、元の歌詞にはそれがありません。
もちろん、歌詞の意味合いから、「続く」は暗示されてますが、書かれてません。
述語、あるいは述部がない国歌というのも世界的に珍しいと思います。いや、もしかしたら他には存在しないかも。

日本人は強い主張を好みません、神に強い主張の祈りをすることは雅ではないし、卑しい所行だと考えられているようです。神はエゴを嫌います。
また、日本の短歌にも述語が含まれないものが多くあります。これは以前日本語関係の書籍を読んだ折にどなたかが言っていたことだと記憶してますが、それは書き手が最後に言いたい重要な事は、読み手であるあなたの思いと同じですよ、ということを伝えているのだとか。読み手を想い、読み手に寄り添うのが日本の和歌なのだと、その本に書かれていたと思います。

このようなものの考え方は割と現代の我々にも通じているものがあるように思います。性善説を唱えた孟子の「惻隠の心」とでも言うのでしょうか、或いは日本のおもてなしの精神にも通じるものがあるように思います。私はこのやり方が結構好きです。よく海外では言わないと分からないから日本人の言わずもがなは通用しないと言われます。私の実体験でも確かにそうですが、そこに日本人のこの考え方の一端でもあれば、世はもっと心が豊かになる、そんな気がします。そういうこともあって先日フェイスブックにも似たようなことを英語で紹介しましたが、さて、どれだけの方が理解して頂いたのでしょうか。

令和参年葉月二十九日
武神館 不動庵道場
不動庵 碧洲齋

f:id:fudoan_hekiganroku:20210829095140j:plain

言わずと知れたさざれ石

f:id:fudoan_hekiganroku:20210829095203j:plain

古今和歌集の編纂の勅命を出した第60代醍醐天皇