昨晩の稽古の折、弟子と話した内容です。
私は20代の頃、海外留学や海外赴任、地方赴任のため何度か全く道場の稽古に参加できなかった時期がありました。
20代というと一番の伸び盛りですからストレスがたまります。仕事でもストレスを抱えていましたが、とにかく稽古に参加できないことがかなりストレスでした。従って多忙な仕事の合間を縫って独り稽古を工夫したりして、可能な限り技量を落とさないよう努力はしていました。
とはいえ毎回、帰国あるいは帰省した折に道場に行くのは結構な恐怖でした。もちろんそれは私が欠席の間、道場は一体どのくらいレベルが上がってしまったのだろう、自分は付いていけるのだろうか、恥を掻かないだろうか、などなど、妄想だけが膨らんで道場に行きたくなくなる気分と戦いながら行った記憶があります。
もちろん独り稽古という方法には限界があり、特に自分が未熟な折はどんなに独り稽古をしても効果という点では熟練者の独り稽古には敵いません。それは当たり前です。なので久々に稽古に参加するとそれなりに打ちのめされますが(笑)、やはり自分は武芸が好きなのだなという気持ちが再確認できたことが嬉しく思ったものでした。また独り稽古をしていただけに行きにくいとは言っても休むほどでもなし。
物理学では止まっている物体を動かすのと、少しでも動いているものを動かすのとでは使役するエネルギーの量が違うことはご存じだと思いますが、稽古も同じです。何ヶ月か何年かパッタリ行かなくなってからまた行こうとすると、膨大なエネルギーが必要になります。
なのでやはりその道を歩み始めたら遅くてもいいので歩み続ける方が時々立ち止まるよりもエネルギーを浪費しないと思うのです。エネルギーが有る時は早くすればいいだけのことですから。
周囲に対して須く興味関心を持ち、武芸に応用ができるか否かを照らし合わせたりすることでその道を歩むエネルギーを維持できるのではないかと思った次第です。
令和六年弥生十三日
不動庵 碧洲齋