不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

君が代

この夏はオリンピックやパラリンピックで国歌を聴く機会が多かったと思います。
それについてちょっと。

君が代
千代に八千代に
さざれ石の
いわおとなりて
こけのむすまで

法律でこの歌が国歌だと明言してませんが、事実上の国歌です。
これは1869年、明治2年に英国軍軍楽隊教官だったジョン・ウィリアム・フェントン氏が日本に国歌がないことを憂いて作曲を申し出たのが始まりとされています。採用されたのは1880年、12年も経ってからになりますが、その12年、練りに練って検討されたのだろうと想像します。

歌詞は西暦905年に編纂された日本初の勅撰和歌集である「古今和歌集」の中の、読み人知らずの句からでした。古今和歌集は第60代醍醐天皇の勅命によって作られました。
それにしても西暦905年にしてすでに皇統は60代を数えます。日本の歴史の古さに改めて敬意を持たずにはいられません。
古今和歌集はそれ以前に編纂された万葉集に漏れた和歌を改めて載せたものですが、リターンマッチというか、漏れた句の中にも素晴らしいものがあったのですね。ちなみに万葉集がどのような経緯で作られたのか分かっていません。勅撰和歌集だったのかどうか、いつ作られたのか、今となっては古すぎて分からないのだそうです。日本の歴史は恐るべきものがあります。

当然のことながらこの「君が代」、世界で最も古い国歌と言われています。また、短歌をほとんどそのまま使ったことから世界で最も短い国歌でもあります。
それにしても伝統ある国家の国歌が読み人知らずの句というのは驚きです。これを書いた1300、400年前の方はさぞや驚いたことでしょう。
万葉集でもそうですが、読み人知らずの句にもなかなか味わい深いものが多くあります。そんな大昔から庶民がこぞって短歌を書くというのも驚きなら、その当時の朝廷と庶民の距離の近さにも驚かされます。現在でも優れた短歌が選ばれた場合、一般市民の作者は皇居に招かれて両陛下の御前で披露する行事がありますが、恐らく古今和歌集が作られていた当時でも似たような行事があったのかも知れません。微笑ましいですね。

君が代は仮にも一大国の国歌ですから公式英訳があります。Wikiには直訳と意訳が掲載されていますが、取り敢えず直訳はこんな感じです。

May your reign
Continue for a thousand, eight thousand generations,
Until the tiny pebbles
Grow into massive boulders
Lush with moss

おおむね意味は合ってますが、たった一点、しかし重要な違いがあります。

それは英訳には"Continue"(続く)という単語がありますが、元の歌詞にはそれがありません。
もちろん、歌詞の意味合いから、「続く」は暗示されてますが、書かれてません。
述語、あるいは述部がない国歌というのも世界的に珍しいと思います。いや、もしかしたら他には存在しないかも。

日本人は強い主張を好みません、神に強い主張の祈りをすることは雅ではないし、卑しい所行だと考えられているようです。神はエゴを嫌います。
また、日本の短歌にも述語が含まれないものが多くあります。これは以前日本語関係の書籍を読んだ折にどなたかが言っていたことだと記憶してますが、それは書き手が最後に言いたい重要な事は、読み手であるあなたの思いと同じですよ、ということを伝えているのだとか。読み手を想い、読み手に寄り添うのが日本の和歌なのだと、その本に書かれていたと思います。

このようなものの考え方は割と現代の我々にも通じているものがあるように思います。性善説を唱えた孟子の「惻隠の心」とでも言うのでしょうか、或いは日本のおもてなしの精神にも通じるものがあるように思います。私はこのやり方が結構好きです。よく海外では言わないと分からないから日本人の言わずもがなは通用しないと言われます。私の実体験でも確かにそうですが、そこに日本人のこの考え方の一端でもあれば、世はもっと心が豊かになる、そんな気がします。そういうこともあって先日フェイスブックにも似たようなことを英語で紹介しましたが、さて、どれだけの方が理解して頂いたのでしょうか。

令和参年葉月二十九日
武神館 不動庵道場
不動庵 碧洲齋

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言わずと知れたさざれ石

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古今和歌集の編纂の勅命を出した第60代醍醐天皇