不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

いい酒には時が要る

よい酒が出来るためには長い醸成時間が必要なことは、愛飲家でなくともよく知っている事実です。比喩的にクオリティの高いモノができるためには、総じて長い時間がかかるモノです。これは古今東西万国共通の認識と言って良いでしょう。

さて、我らが日本人が信奉するところの日本国憲法ですが、ウィキペディアの記述によると、マッカーサーから近衛文麿憲法改正の示唆がされたのは1945年10月4日だったそうです。そしてご存じのように日本国憲法が施行されたのが1947年5月3日。

世界で初めて軍備放棄を謳った、世界遺産級の平和憲法だと一部の連中から喧伝されているシロモノは、終戦の大混乱期に、終戦から計算したとしても2年に満たない期間で成立した憲法です。・・・皆さん、ご存じですよね?

昔から日本では「石の上にも3年」と言われるぐらいなのに、アジアでナンバーワンの、いや、今や世界でも1.2を競う経済大国の憲法は2年未満という短期間で作られた憲法を根幹として、主権が成り立っているのが現状です。私は正直、テントの中で生活し、キャンプ用ベッドの上で寝起きしているような気分がなくもありません。

もしかしたら終戦時とはいえ、そうそうたるメンバーが不眠不休の努力でGHQと折衝して議論したのかも知れません。もちろんそうでしょう。憲法問題調査委員会のメンバーはウィキにも掲載されています。彼らの不断の努力にはもちろん、頭が下がります。何でもやることが遅い日本政府が、国家の根本たる憲法を2年とかからず作り上げたのですから。この早さはもしかしてギネス級なのかな?

それにしてもたったの2年未満、しかもそれは戦後の混乱期、また完全に日本国民だけで創ったものでもありません。何でも歴史と伝統、格式などを重んじる日本人としてはいささか情けない話しではないかと思います。私は今の憲法を遵守しますが、2年未満で作ったシロモノをありがたく思うほど、安い人間でありたくはない。もちろん記述の全てを見下すわけではありませんが、やはり時代にそぐわないような憲法、日本人自ら民族自決主義で決めるべき条項があるはずです。

もっと情けないのは世界に冠たる憲法第9条ですが、警察予備隊の発足が1950年8月10日ですから、日本国憲法が発効してから憲法の理念、事実上、完全に守られたのはこのたった3年間だけでした。でもこの3年間は、多分、そんな憲法なんてあったのかとか、そんな感じで復興に忙しい国民だったのだと想像します。この3年間だけでも誇らしいと思っていた人いますか?実は私はまだそういう人に会ったことがありません。古すぎる時代だからでしょうか?これこそ輝かしき3年だと思うのですが・・・。

日本国憲法を指示したのがGHQなら、再武装を指示したのもGHQ、私個人の見解ですが、一体全体、憲法第9条って何だったんだろうと思います。今や日本の軍事力たるや米中露には劣るにしても、欧州列強諸国いずれの国も凌駕しています。ただし実戦経験が全くないという、詐欺師並みのいびつな軍隊です。このいびつさは憲法第9条のおかげとも言えます。大金をつぎ込んだ巨大システムは、その本来の目的のために稼働したことがまだ一度もないと言うことです。会社だったら完全にアウトです。

使えるパイロットになるには少なくとも5年の経験が要るとか。同じく使える艦長になるにはやはり少なくとも10年はかかるそうです。軍隊という巨大組織を円滑に効率的に動かせるようになるにはどれほどの労力が必要なのか。無論、自衛隊の皆さんは色々なところで色々な情報収集をしていて、かなりいい線までフィードバックをしていることは知っています。戦うことが出来ない軍隊故の苦労があると思います。

でも、戦後初の戦死者が出る可能性が、ここのところ格段に上がっていることは、国民の誰であってもひしひしと感じていると思います。それが起ったとき、どうなりますか?軍事力を保持したことを後悔するのか、更なる強化を望むのか、実戦経験不足を悟るのか。ま、私は専門家じゃないので分かりませんが。戦死者が出たら私はまず自分の祖父と同様に敬意を表わします。それからじっくり考えることにします。多分5分もあれば十分です。

最後に・・・日本国憲法前までその座にあった、大日本国憲法についてちょっと。

ご存じでしょうか?一体どのくらいの歳月をかけてこれが作られたか。

大日本帝国憲法は明治大帝が1876年に憲法作成を指示して1890年に施行されています。つまり14年も掛けて議論され、研究され、調査されています。伊藤博文を始め、政治家達がわざわざ欧州まで船に乗って実際に行って、調査してます。これは歴史の授業でもやりましたね。明治時代が相当ヒマだったと思う人はいませんよね?何と言っても将軍様から天皇陛下に権限が委譲されました。天がひっくり返ったというような様相だったのでしょう。丁度今、NHK大河ドラマで「八重の桜」やってますね。あんな感じです。将軍から大名、侍までがごっそりいなくなりました。よく訳が分からないうちに西洋式のものの考え方が流入し、武器から何から西洋流と相成りました。この頃の中年以上は皆、ちょんまげを付けて刀を差していた江戸時代の人間だったことを考えると、今でも時々驚かされます。

話が逸れました。大日本帝国憲法は足かけ14年、日本国憲法は足かけ2年未満。どうですか?この差。武芸だったら14年と2年だったら瞬殺レベルの差です。大日本帝国憲法は不完全な憲法だったという意見は今の世を生きている我々だから言えること。アジアで憲法を持っていたのは、いや、そもそもちゃんと独立していたのは日本とタイ王国のみでした。当時としては最新の憲法だったと言えます。ちなみに大日本帝国憲法も施行されていた57年間、一度も改憲されませんでした。日本人の憲法に対するものの考え方がそのようなものなのでしょうか。分かりません。

14年もかかって、政治家達が欧州まで奔走して研究された大日本帝国憲法に比べると、今の憲法の方がよほど適当に作られた感が否めません。私は改憲派ではありますが、今の政治家が明治時代の政治家に比べて半分の能力も有していないと思います。明治時代の政治家並に自分は優秀だと自負する政治家がいたら名乗って欲しい。そんな人がいたら、私は無条件で応援します。だからそれなりに時間をかけ、熟成させて、よい酒になるような改憲を強く希望します。

と、憲法について日頃から私が考えていることでした。

平成二十五年文月三十日

不動庵 碧洲齋