不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

世界に向かって語る理由 壱

本来は8月15日に書きたいのですが、あいにく当日は息子と海外旅行を満喫(・・・でもないか)しているので、少々重いことは行く前に書いておこうと思います。まあ、旅行中もパソコンは持って行きますから色々旅行については書きますけどね。

日本では先の大戦が終わった日は8月15日とされています。文字通り「終戦記念日」と呼ばれていて「敗戦記念日」ではありません。

ちなみに「敗戦記念日」というのであれば、それは9月2日、戦艦ミズーリ艦上で日本の代表が降伏文書に署名したその日に当ります。もちろん、ほとんどの連合国では9月2日にパレードとか行われています。

8月15日に何か催しが行われるのは日本と、一部の旧外地だけのようです。(光復節とか言ってたな・笑)

8月15日と9月2日は何がどう違うのか、考えたことがありますか?

8月15日というのは、先帝陛下が「戦争を止めます」と宣言された日他なりません。

極論を言うと、負けたとかそういうものではなく、とにかく国家が灰燼に帰しかけているこの惨状を鑑みて、先帝陛下が戦争を止めると決断された日です。

日清戦争でも日露戦争でも、明治大帝は気が狂わんばかりにお悩みになり、日露戦争の折などは涙まで流して戦わねばならぬ理不尽さを切々と述べられたそうです。それはそうでしょう。日本の何倍も大きい世界大国相手を相手に戦わねばならぬ羽目になったのですから。

ちょっと前までちょんまげを付けて刀を差していた人間が、当時の最新兵器最新兵器を借金までして買って駆使して勝てるのかと言われたら、普通は「無理」だと思います。今の私たちには十分な勝算があると分かりますが、当時は違います。

それでも明治大帝には「戦争はもう止めよう」という屈辱的な判断を仰いで頂く事態には至りませんでした。それは軍人たちが達観していて、勝つことはもちろんのこと、早く終わらせること。世界を俯瞰して分が悪くならぬ事などもちゃんと計算していたから。結果、世界でも類を見ない見事な勝利を収めました。

一転して昭和の軍人と比較すると同じ日本人かと思ってしまうぐらい、軍人(上級将校)のレベルに差があります。和魂洋才が最大限にバランスがよかったのは、明治時代だったのかなと私なりに思います。

私は民族主義者ではありませんし、軍国主義者でも右翼でもありません。が、私の日本人としての行動規範は基本的に「今上陛下の御宸禁を悩まさぬかどうか」という判断をしています。簡単です。

陛下が気分を悪くされるような裁可を持って行くことが「悪」です。もちろん、陛下が良しと思わぬ言動も日本人としてはNGです。天皇こそがミスタージャパンなのです。日本は何かと言うならそれは天皇家、皇室そのもの。そして、これが日本の根幹であることが間違いないのなら、やはり国民は陛下や皇室の思惑に逸れるような言動はすべきでないと思っています。(なるべくね)

ま、私も毎日皮肉の10や20をついネットで愚痴ってはしまいますけど、行動基準はこのように心掛けています。(できているかどうか、というのはまた別の問題ということで・笑)

国会で決まったことに国璽を押さねばならぬ陛下のお気持ちを察すれば、愚か者を当選させたり、愚かな人選を決議したり、そういうことで陛下を苦しませることは全部、無条件で悪いこと。どうしても苦しんでいただく場合はあっても、それは究極的に日本が追い詰められたときだけです。でも追い詰められて陛下に苦渋の国璽を押させるのもまた、愚かな政治家ですし、それを選ぶのはやはり国民と言うことになります。だから国民ひとりひとりが賢くなるように日々努力することが一般市民が陛下や皇室に尽す事他なりません。

日本国憲法の一番最初にあります。「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」前にも述べたように私は別に日本国憲法に信を置いているわけではありませんが、大敗を喫した割にはよくもまあこの程度の憲法で済んだなと思わなくもありません。

ダイレクトに書くわけには行かなかったのでしょうが、主権は国民にあったとしても、あくまで顔は天皇だよと言うこと。顔つきが悪かったり、顔が汚れていていいわけありません。顔をゆがませたり悲しませたりすることが対外的によいわけありませんから、やはり天皇家の護持は日本国民の義務であり、故に愚かな言動で陛下の御宸禁を悩ませてはいけないと言うことです。陛下のお考えそのものが日本です。(むろんその手段においては御意にかなわぬ場合もあるかもしれないにしても)

戦争を全く知らない世代が大半を占めてきている今、何とも無責任な言論がはびこっていますが、普通その頃、戦争に負けたら国家の移動できる限りのあらゆる資産や資源、頭脳など、根こそぎ持って行かれます。更に多額の賠償金や数多の規制など、ひどい場合は国家の存続すら危うくなります。そもそもアジアでまともに独立していたのは日本を除いたらタイ王国しかない状態ですから、連合国統治領日本にもなりかねませんでした。それがこの程度で済んだのは幸運以外の何物でもありません。日本国民の精神力の賜とか御威光だとかいう奴がいたら私がぶっ飛ばします。この程度で済ませてくれた最大の功労者は無論先帝陛下であり、尻ぬぐいをさせられた一部の政治家たちです。あとあまり認めたくありませんが、思惑が十分あったにせよ、連合国の慈悲によるところ大です。

この先帝陛下を初めとする先達の苦難を忘れてなんともまあお気楽な理屈が最近は徘徊していることか。今ある平和に感謝がない人が多すぎます。

東京裁判にもその後の歴史観にも、日本人の根性にも腹は立ちますが、よく考えればそもそも世界は日本に合わせては動いてくれません。どうも井の中の蛙系の人は天動説を信じたがる。終戦時、命を賭けてこの程度の被害で済ませるように奔走してくれた人たちの労を思えば、先の大戦の傷をなめて痛いの何のと言うヒマがあったら、今少し未来に目を向けてもらいたいと思います。

私は未来に目を向けます。何せうちには大事な子供がいますから。過去が子供の未来に悪影響をもたらすなら私はスパリと未練なく斬り捨てます。親でそれができぬ人は親を止めた方がいいとさえ思います。親はいつも今日よりは明日なのです。

そういう意味においては、陛下が国璽を押された限りにおいて、祖国防衛のために戦争を始めねばならない場合は喜んで従軍しますし、できるだけの非常事態には協力するつもりです。私は決して平和主義者ではありません。やられたら1.1倍ぐらいにしてはやり返したくはなります。どこの国からか攻められてもまだお気楽な平和主義を唱えている輩がいたら、そいつも日本国民として許し難く思います。

(長くなったので続く)

平成二十五年葉月七日

不動庵 碧洲齋