不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

参議院選挙が終わって

このところ、米国では人種差別とも取られる警察の対応に反対してあちこちで暴動が起き、大変物騒になっています。人種差別というのはなかなか厄介で、私も実際に数回、人種差別を受けて大変不快な思いをしました。最近では日本人というと下にも置かぬもてなしを受けることがほぼ大半ですが、同じアジア人でもいささか問題のある民族があちこちで放蕩を尽しているため、アジア人だと言う事で白い目で見られることも少なくありません。幸い、日本人はその立居姿でも圧倒的に優雅なので、比較的嫌な思いはしなくなってきましたが。 今回の参議院選挙、とうとう与党もしくは改憲派が2/3を超え、いよいよ憲法改正に一歩近付いてきた感があります。 そこでこんな問題提起。これは昔から疑問に思っていたことです。 同じく第二次世界大戦時に同盟国で敗戦を喫したドイツについてです。 かの国もまた、敗戦後に連合国から新しい憲法の制定を要求されました。それが現行のドイツ連邦共和国基本法です。東西ドイツ統一前に西ドイツで作られた憲法ですが、統合後も改正して用いられています。 ドイツの敗戦は1945年5月です。で、このドイツ連邦共和国基本法が発効されたのは1949年5月です。制定まで4年ほど時間をかけました。 一方の日本、終戦後に廃止された大日本帝国憲法に替わって連合国軍占領中に連合国軍最高司令官総司令部の監督の下で作られたのが、現行法の日本国憲法になります。ちなみに日本の敗戦は1945年8月、日本国憲法発効は1947年5月。日本国憲法はたったの1年9ヶ月で作られたものです。 蛇足かも知れませんが、大日本帝国憲法に至っては出来上がるのに14年の歳月を費やしています。そんなに練りに練った憲法なればありがたみが湧いてきます。現在の視点では不完全かも知れませんが、当時の世界では決して欧米諸国に劣るものではなかったと思います。 こんな比較をしてみるのもいいかもしれません。私はドイツの憲法に詳しくないので、Wikipediaからの飲用ですが、ドイツ連邦共和国基本法における軍備に関する部分を抜き出してみると; 第17条:兵役または代替任務にある者の基本権制限 第26条:侵略戦争の準備の禁止 第115a条:連邦が攻撃された・され得る事態となった場合、連邦政府の申請で連邦議会により防衛事態の承認・不承認が議決される。 第115b条:防衛事態が承認されれば指揮権は連邦首相に属する。 こんな感じです。国防のためなら軍備OKという事です。色々な意見もあるかと思いますが、普通に考えるとナチスドイツの方が遥かに残虐な行為が多かったと・・・私は思っています。 一方の日本では「世界的に有名な」第9条はこんな風に書かれています。 1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 現実問題として、これが正真に守られたのは1950年8月に警察予備隊ができるまでの、たったの3年間だけでした。これは憲法が現実を反映していないのか、日本人の方遵守精神が足りないのか。ちなみに、言うまでもありませんが日本国憲法制定を命令したのも警察予備隊の設立を命令したのも連合国司令部です。 この比較から感じるのはひとえに欧米人(白人)からの日本人、もしくはアジア人に対する人種差別です。何を考えているのか分からない、不気味なアジア人。アジア人のくせに西洋人と同じレベルで産業を興して技術を持ち、あまつさえ西洋人に歯向かう得体の知れない連中。違う信仰を持った、理解不能な連中。そういう気持ちはなかったか。そうでもなかったら、この日本とドイツの憲法の差はここまでなかったろうと、勝手に思っています。彼らの名誉にかけて言いますが、個々としては皆大変素晴らしい方が多い。私が懸念を抱いているのはあくまでも政府に寄り合うような人たちの場合、という事です。 そういう比較を考えもせずに、聖書の文字のように一言句も動かすべからずというおめでたい日本人は欧米人にしてみたら大変ありがたい。西洋の神様同様、あがめられないと存在できないかのようです。日本人の持つ、本来の特性に日本人は気付かないでもらいたい、そんな空気を時々、欧米人から感じることがあります。たとえば私の場合、外国人友人が8割近くいるFBで、昭和天皇立憲君主政体を無視して、超法規的に行動したのは2.26事件の鎮圧と終戦工作のたった2回だったと英語で書いても、どなたからも「いいね」がなかったとか(笑) 明らかな日本人の徳性を語って「いいね」をくれる欧米人が極端に少ないのは白人優勢の意識があるからでは無いかと感じることがしばしばあります。(あ、アジア人の友人や日系人の友人は「いいね」すること多々ありますが) 一部の保守が言うように「目覚めよ、日本!」が歴史上どの時点を指すのか不明瞭ですが、目覚めたからいいというものではありません。日露戦争後の民衆の考え方を見るに、やはり日本はよくも悪くも意思が統一されすぎていて、簡単にバカな方向に突っ走ってしまいます。 幸いにも私は外国人と直に接する機会が多く、ネットでも同じく。中国人と共産党がいかに害悪なのかということも話したことがあります。しかし日本人はまだまだ、「外国人」と接する事が少ない。ネットで愛国心に燃えている連中ほど、特にそんな気がします。 実際に留学、海外旅行いずれも数が減ってきていると聞きます。内向的になった日本人ぐらい、どうしようもないものはないようにも思います。 どうしろという解はありませんが、やはりマスゴミの扇動やバイアスの掛かった情報に騙されない賢さが必要だと思います。これは日本だけではありませんが。直に外国人と接していないと、ばかばかしいほど簡単なことを理解できません。 一例です。2000万人に達する外国人観光客の4割以上は中国人と韓国人で占められています。日本語学習者の数もこの二ヶ国は常に上位5番とかそのくらいに入っています。本気で毛嫌いしているが日本にやってきたり、日本語を勉強しますか?日本がこれらの国とよくも悪くも深く関わったのは事実ですが、それをよくも悪くもうまい具合に解釈するとどうにでもなります。彼らが善人で、実は日本が好きだったとか言うつもりは全くありませんが、嫌中、嫌韓の方々の中には呆れるほど単純にも幼稚だと思う人がかなりいます。(逆によく調べているなと感心する人がいるのもまた事実です。えてしてそういう人たちはかなり冷静です) 私は改憲派ですが、日本の品位、徳性、歴史、伝統をよくよく鑑みて、世界からの敬意を失わないような、それでいて毅然とした改憲であれば、是非ともと思います。
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平成二十八年文月十一日 不動庵 碧洲齋