不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

一座の功

白隠禅師和讃という臨済宗の坐禅会でよく唱和されるお経の一節にこのようなものがあります。

一座の功をなす人も積し無量の罪ほろぶ
(たった一度の坐禅ですら、今まで犯してきた全ての罪が消え去る。)

坐禅の功徳を説いたものですが、私は32の時からかれこれ20年以上、禅に惹かれてささやかながら修行を積んで参りました。
家の仏壇の前の座布団は家で坐禅をするときに使っているものですが、よく見ると緑色の生地にあちこちシミがあります。これは朝起きたり、夜寝る前に坐禅をする折、短パンを穿いて坐るため、結跏趺坐を組むと膝裏から汗が滲み出てしたたり落ちるためにこのように汚れてしまいます。(そう考えるとカバー付きのを買えば良かった・・・)
それ程気にもせずに使っていましたが、最近よく見るとあちこちシミだらけになっていて改めて驚きました。自分的にはそれほど坐っているようには思っていませんでしたが。
もっとも20年坐ったからと言って何か特別なことを悟ったりしたわけではありませんが。
心の中の雑音が鎮まるその間が何とも希少な時間に思います。これは武芸の稽古中にもあることですが。

好きこそものの上手なれ、という言葉は真理だと思います。
遠からず好きなことで身を立てていければ、と最近はよく思うようになりました。

 

令和五年葉月十二日
不動庵 碧洲齋