不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

ミハイル・ゴルバチョフ

最近色々とロシアについてふり返ってみました。
私が高校時代に「冷戦の敵側」であるソ連に興味を持ったのはもちろん、あちら側に一風変わった政治家が登場したからでした。
ミハイル・ゴルバチョフ氏です。1985年のことです。今までのソ連の政治家とは一線を画す、ひとかたならぬ人物であると、高校生時分に感じました。彼はたちまち有名になり、著書「ペレストロイカ」が出版されたときはすぐに買って読み、大変感銘を受けました。
タイトルは忘れましたが、当時のソ連大使館から無料で発行されていた雑誌も定期購読しました。
ソ連生まれとは思えない大変開明的な方で、2022年8月、ウクライナ侵攻が始まって半年後にこの世に去ったときはきっと心残りだったのではないでしょうか。
彼の偉業は西側諸国ではよく知られていますから、詳細は割愛します。

ロシアに行った折、このミハイル・ゴルバチョフ氏についてロシア人と何度も語りました。
ロシアではどのように評価されているのか、西側諸国の市民とはある意味全く価値観の異なるロシア市民の価値観に、私は大変ショックを受けたことがあります。そしてウクライナ侵攻が始まってからは更に深掘りするようになり、彼らの政治的視点、国際社会の立ち位置について、改めて思いを馳せました。

外側である西側諸国の我々市民から見ると、ゴルバチョフ氏はソ連の旧弊を打ち破って旧ソ連国民に自由を与えた開明派と見られますが、ロシア国民から見ると例えその後外の世界と自由に行き来できる自由、ある程度自由に発信できる自由がもたらされたとしても、ソ連崩壊後の地獄の混乱を10年間ももたらした怨みの方がかなり強いようです。自由主義、資本主義をほぼ知らない旧ソ連国民がその世界に放り出されたとき、もちろんその自由闊達さに歓喜した、適応力が高い人たちも多かったのは間違いありませんが、大多数は共産主義下の多少貧しくとも管理され安定した社会に2世代以上も慣れ親しんできました。そういう人からすれば学校の25mプールからいきなり太平洋の海に放り投げられた気分だったと思います。

また彼らは旧ソ連時代、西側陣営の向こうを張っていた超大国だったという自負がありました。彼らと競合しているという夢を持っていました。しかし実際鉄のカーテンが取り除かれると、彼らの方が圧倒的に豊かである事を知りました。映画「マトリックス」ではありませんが、自分たちの方が優れている、という夢を見ることができたのが旧ソ連時代とすれば、ゴルバチョフはその夢を覚まさせた悪党とも言えます。旧ソ連市民からするともともとあまり価値を置いていなかった情報の自由や行動の自由、思想の自由よりも、今住んでいる国が世界で重要な意味を為しているという自負の方が大きかったに違いありません。故に彼は市民から憎悪の対象になったように思います。特に高齢者などはそれが顕著なように思います。故に高齢者やソ連時代が長い人にはゴルバチョフ氏は自国を大混乱に陥れた大悪人であっても、自由をもたらした偉大な政治家ではないのは間違いありませんし、若い世代は多分殆ど彼については学ばないと思うのでやはり関心が低い。残念です。

10年間の混乱を経て、それを上手く利用したのがプーチンだと言われています。ソ連崩壊から10年後から10年間、傷つけられたロシア人の誇りをくすぐってロシアに一定の方向性を与えたのが彼だと考えられています。それ自体悪いことではないと思います。実際モスクワを見て、ソ連時代の想像上のモスクワよりも遥かに欧米化して自由で明るい街でした。しかしたぶん、それはうわべだけだったのかも知れません。10数年前と今でもロシアを仕切っているのはあくまで旧ソ連時代の人が大半です。ウクライナ侵略前のロシアを見て勘違いしていた人が多かったと思います(私もそうでした)。

ロシアは少なくともプーチンになってからは旧ソ連並の大国意識を国民に植え続けていました。今は懐かしのプロパガンダ政策です。何でもかなり自由になった時代にそんなものが効果あるのかと驚きますが、実際は効果てきめんでした。多分今まで厳しく統制され続けてきた国民だったからなのでしょう。国の外に情報を求めるという考えに至らなかったり、信をおかなかったりした人が多かったように思います。あれだけ自由にインターネットで海外の情報を知ることができたはずなのに、多くのロシア国民は政府の言葉を信じている、という人が大多数です。或いは信じていなくても声を上げられないという人もいるでしょうか。信じていると言うよりはソ連崩壊後の屈辱から今度の政府の言葉を信じたいという、希望のような気がします。実際プーチンはある程度までロシアを盛り返してきたという実績もあります。カリスマ性もあり信じない理由はありません。生前のゴルバチョフ氏のインタビューでも彼はこれを気にしていた動画がありました。

更に悪いことに一人の権力者が長い年月権力の座に着くことは良い結果を生まないという歴史上の常識に疎かったのも、もしかしたらロシア人はそれ程歴史を勉強しなかったのでしょうか、ここは謎です。ただ、彼らと話していると法治国家ではなかったが故に、多少法を曲げても有能な政治家が国をよくしているのなら許容範囲だという考えは強い感じがします。民主主義国家市民からするとにわかには信じがたいタブーを犯している権力者も、成果を出していれば良いというのがロシア人の気質のようです。

旧ソ連の崩壊後、せっかくせっせと積み上げてきた国際社会での信用はここにきて全部チャラになってしまいました。なおロシアはロシア連邦になってからジョージアのオセチア地方、ウクライナの東部ドンバス地方やクレミア半島などに軍事侵略をしています。これも国威掲揚の一環なのでしょうが、普通に努力してもロシアぐらいの国であれば十分国際社会で評価は上がると思うのですが、軍事力という麻薬を使いたがるのはどこの国でも同じです。ただロシアの場合は使い方が雑なのかも知れません。また軍部が一番、旧ソ連の思想を固守しているとも言われています。そうかも知れません。

1つの偉大な政治家による行いも、鉄のカーテンの両側では評価が真逆というのは今なお少々驚きです。

令和六年弥生七日
不動庵 碧洲齋