不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

武芸「で」学ぶか武芸「を」学ぶか

土曜日の不動庵道場の稽古の後に、弟子とコーヒーショップにて話したことです。
現代に於いて、武技を正確に行える、武技がカンペキに使える、あるいは剣術に於いてきちんと正しく斬撃して巻俵を切り落とせる、というそれだけできても全然意味が無いばかりか、ある意味現代では有害以外の何ものでもありません。
各流派におけるさまざまな武技は大変残念なことに江戸時代が終わってから現代まで150年間、武門に籍を置いた人の多分9割以上が実際の戦闘にて用いた経験はないはずです。そして今後未来武技を活かす機会は多分、未来永劫やって来ません。ほぼ100%使う機会はないと断言してもいいレベルかと。ま、「北斗の拳」の世界にでもなれば別でしょうけど(笑)
こんな話を高校時代の私に聞かせなくてホッとしてますが、これが現代に活きる古武道のリアルです。

では各流儀の武技を正しく継承する意義はどこにあるのか、それが近代に入ってから武門に入った人が考えねばならない永遠のテーマと言えます。私の師匠の受け売りですが、武芸を通じてその発想や着眼点、哲学を現代社会における日々の生活に応用する、というのが師匠の答えであり私もそう思う次第です。優れた武技の持ち主でもアルバイトで毎日カツカツの生活をしている、というのは師匠的には全然認められないようです。

実際問題、似たような難題に直面した時代はありました。それは戦国の世が終わって江戸時代になったとき、今ほど深刻ではなかったでしょうが、それでもやはり「ガチバトルオンリー」の人間は不要になってきた社会に於いて、武士たちは流儀に色々付加価値を高めて再興したり、継承したりしてきています。危機の度合いは現代の方が遥かに深刻ですが、似たようなものです。

古流に於いては基本試合がありません。なので弱くて良いというわけには行かないにしても、勝ち負けに拘泥する必要も、柔道や空手、剣道ほどにはないと考えています。

何百年も続いてきた流儀の継承が、今後本来の任務である敵の撃滅ではなくなりつつあるというのはいささか武芸流派としては理不尽に思うこともありますが、思えば兵法「孫子」も現代では戦略戦術指南書よりもむしろビジネス書として大変人気がありますから、武芸もそんな風に生き長らえ、別の意味で磨かれて行けたらと思う今日この頃です。

 

令和四年睦月三十日
武神館 不動庵道場
不動庵 碧洲齋

 

武神館 不動庵道場
【日時】2022年1月8日土曜日、13:00-15:00
【場所】谷塚上町会館:草加市谷塚上町231-1
【アクセス】東武スカイツリー線 竹ノ塚駅西口
東武バス 竹04/竹05にて約10分、又は竹06にて約15分。
バス停「谷塚上町」降りてすぐ。
駐車場あり。
入門希望者・興味ある方はご連絡ください。

 

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