不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

師走

週末、いつも坐禅会に行っている寺に宿泊して作務を行いました。
普通はなかなか寺に宿泊する機会はないと思いますが、禅僧の生活の一端を知ることができます。
広大な境内にある庭の手入れや墓地の清掃、大きな坐禅堂の掃除など、なかなかハードな仕事が多く、さすがにクタクタになりました。

禅僧は応対がかなり丁寧であることが多い。
お辞儀などされるといつまでお辞儀をしているのか、こちらが困ることしばしば。
彼らは物や事を丁寧に取り扱います。それは多分、一期一会のつもりで、その人やその物に接しているのだと感じます。
特に寺の住職はそれが徹底しています。ここは大きな寺なので住職は代々老師が務めています。
禅宗にて老師というのは言わば免許皆伝を受けた高僧です。
その辺の町寺の住職や和尚さんとは違います。
いつも坐禅会の折には博学さと言い坐相といい、一挙手一投足に至るまで普通の人にはない泰然とした雰囲気を纏っています。

私が到着したとき丁度老師しかおらず、しばらく話していたのですが、ふと外に誰かいる気配がしたので老師にそれを告げると老師は小走りで玄関に駆けていきました。何かと思えば単に牛乳屋さんが牛乳を配達に来てくれただけでした。本当にそれだけです。そんなことのために老師は小走りで玄関まで走って行きました。普段そんな姿を見ませんが、それがとても印象に残りました。

人への気配りでしょうか、おもてなしでしょうか、分かりませんがそのくらいいつも彼らは気を遣っているということです。お寺ですからお客さんが吉事で来ることはまずありません。なので僧侶たちはたぶん細心の注意を払って他人に接しているのだと思います。
いつも泰然とする事は良いことだと思いますが、このような老師の機微を学べたらといつも思います。

老師の小走りした姿がとても印象的でした。自分もこのような機微を持った人になりたいと思います。

令和六年弥生十一日
不動庵 碧洲齋