不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

一枚で隔てる

私が通っている禅寺では老師が住職をされていて、雲水さんが常に5,6人以上もいる大きな寺です。
坐禅をする場所も立派な禅堂で、どこかの大本山の僧堂の写しとか言っていました。
そのように素晴らしい環境で坐禅ができる寺はそうそうないと思います。

通常の坐禅会は第1,第2日曜日の早暁ですが、一番厳しいのがこの1月2月の時期。
禅堂には冷暖房はありませんので冬、寒いときは0度を下回ることもあります。
春先や秋口の坐るにはいい気候の時にはそれなりの人が来ますが、この時期に来る人は多くありません。
通常坐禅会は6時からですが、私はいつも1時間早く来て坐ります。
昔はこの季節に座るのは一大決心が必要でしたが、今は日常生活の一部、生活習慣のようなもので特に何も考えずに参ります。
どんな厳しい修行も習慣化すると意外に厳しくは感じなくなるものです。

この時期、バイクで寺に着き、禅堂まで行くと本当に身を切る寒さであることが多い。
しかし障子戸を開けて中に入るとホッとする暖かさがあります。
ほんの僅かな暖かさに過ぎません。内外はたった一枚の障子紙を隔てているだけです。
しかしそれでも結構暖かく感じます。今朝もそうでした。
これは今に至るまでありがたいと毎回感じます。
禅の修行が進むとこのような日常のほんの僅かなことでもありがたく感じ、感謝の念が湧きます。
人工の作為を排除しが、完全に自然の賜だけであっても感謝の念が湧いてくるような境涯がよいのでしょう。

物質文明に囲まれていると大幅に度を過ぎた便利さにすら当たり前のように思ってしまいがちですが、今一度身の周りを点検して我が身を誡めて参りたいところです。

令和六年如月四日
不動庵 碧洲齋