不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

坂の上の雲

先週からNHKオンデマンドでスペシャルドラマ「坂の上の雲」を視聴しました。
元々はスペシャル大河ドラマと名付けられる予定だったようなので、テイストは大河ドラマそのものです。


2009年から2011年まで足掛け3年、1話90分で13話が放送されました。普通の大河ドラマが45分なので、大河ドラマで言えば26話分ぐらいでしょうか。普通の大河ドラマの半分程度の長さですが、出演者の豪華さと物語の濃さは随一です。
比較的予算を掛けずにリアルなVFXを導入するなど、革新的な試みが随所に見られるものの、NHKならではの高額な予算投入もあり大変見応えのあるドラマでした。
私はリアルタイムで全部観ることができなかったので、以前も一度オンデマンドで視聴しましたが、再度観ても感動は薄れません。

徒然少し書き散らかします。

 

渡辺謙のやや長めのナレーション、あれだけでお金を払ってもいいと思えるほどです(笑)


「まことに小さな国が」と言っていますが、19世紀、欧米以外の世界で「国」を維持できていた国自体が恐ろしく少なかったことは容易に想像できると思います。アフリカでは19世紀に独立していた国はリベリアとエチオピアの2ヶ国、アジアでは日本とタイと中国ですが当時の清国はすでに欧米列強に蚕食されていました。南米はどうでしょうか。アルゼンチンやブラジルなど比較的独立国はあったようです。


つまり欧米諸国以外に「完全に独立していた国」というのは多分10指にあまるかどうかという、そんな程度でした。白色人種ではない国がそのくらいということです。その中で維新後の日本は多分、それらの国と比較して経済力や科学力が秀でていたとは思えません。ただし私が見たところ、欧米以外の独立国のみならず、欧米諸国と比較しても日本が圧倒的だったのは教育レベルではなかったかと思います。


簡単に言えば識字率。江戸の識字率は学者によっては60から80%とばらつきがありますが、先日目からウロコの動画を見ました。それは江戸時代、江戸の人口の半分は武士、つまり識字率100%です。残りの町民の識字率が7割だったとしても合計すると軽く80%に達します。地方ではもう少し低いでしょうが、明治半ば、イギリスが義務教育を施行する前の識字率が3割強だったことを考えると日本の識字率は世界的に見ても異常に高かったことが伺えます。

 

また、日清日露戦争時、中級上級指揮官は青年のころはちょんまげをして刀を差して着物を着て大名や将軍と言った殿様に頭を下げる旧態依然とした社会で生きていました。それが数十年後には蒸気機関エンジンを搭載して電信機や巨砲を装備した世界でも最新鋭鋼鉄艦の艦隊を指揮して、海戦の歴史も数も数倍優る敵艦隊を完全撃破したのですから、彼らは一体どんな教育を受けてきたのかと思いを馳せます。


「坂の上の雲」では軍人のみならず政治家の活躍にも大変スポットが当てられています。国内世論、国際世論、外交、財政、経済など、戦時中のさまざまな難問を見事にクリアしています。少し前まで鎖国していた国の国民とは思えないほど。
明治時代は侍や知識階級がいち早く欧米列強から学び始め、しかし市民はまだ封建社会の草民の気質が残っていた良いタイミングだったのかもしれません。

 

良いタイミングと言えば日露戦争では陸軍でも海軍でも神がかっているという感じがします。もちろんそれは日本の政府や財界人、軍人たちが奮闘した結果生み出された神のタイミングだったのかも知れませんが、日本にとっての好機が幾つも積み重なることが出来る様はやはり日本は神の御加護を受けていると思わざるを得ないほどです。

 

もちろん明治時代が市民にとって楽な時代だったとは思えません。江戸幕府から近代的な政府に変わり、40年足らずの間に国家間戦争が2回もあるなど、重税を課せられた市民は今とは比べものにならないほど塗炭の苦しみにあったと想像します。それでも耐えられたのは封建社会の考えが残っていたり、新聞を通じて日本がどれだけ危うい状況に置かれているか理解できたからだと想像します。

 

ロシア帝国はこの手痛い敗北や戦前から日本が行っていた諜報活動によって共産主義者たちによって崩壊してソビエト社会主義連邦になっていきますが、皮肉なことに日本も戦後わずか10数年後には日本にも共産党が創立されるなど、やはり市民にとっていくら国家のためとは言え重税を搾取されるような社会よりは当時は楽園に見えた共産主義に傾く人は多かったと想像します。幸い日本は日本共産党をうまく抑え込み、現在に至るまでこの政党は存続しています。一定数は共産主義がいいと思う人はいるのでしょう。ちなみに欧米の多くの国では共産党結成は非合法なようなので、日本はかなり「自由」だと言えます。皮肉っぽくなりますが。

 

江戸時代末期頃には既に電信、テレグラムはあり、恐るべき早さで遥か遠くから情報が届けられてはいましたがまだまだ情報の大半は紙に書かれた情報が人の手によって届けられていました。戦国時代よりは遥かに発達したとは言っても、まだ電信が補足的なツールであった以上、結局コミュニケーションに求められるのは送信者と受信者の配慮や洞察力、想像力、記憶力といった人間力だったと思います。

 

私たちは今、先の太平洋戦争時に於ける日本軍のお粗末過ぎる情報戦を嗤いますが、私たちもITツール無しに一体どれ程のコミュニケーション能力があるのか考えると決して笑えません。明治時代人、つまり江戸時代に産まれた人たちの洞察力、推察力、想像力、記憶力というのは多分、我々のそれを遥かに凌駕していると思います。

 

妻の祖父母は少し前に100歳で他界しましたが、生前、幼少の頃にいた老人たちは恐らく江戸時代に産まれた人もいたと思いますが、一体どんな人たちでしたか?と尋ねたことがあります。曰く姿かたちは私たちと全く変わりなかったけど、まるで別人種のように思うことがあったと。どんな寒くても暑くてもそういうことはおくびにも出さず優雅な所作で、生活の知恵はもちろんのこと、諸芸に関してもどんな人でも最低限は身に付けていて大変賢かったそうです。西洋文明の洗礼を受けるというのはそういう知恵を失うことなのかと考える今日この頃です。

 

令和五年臘月二十五日
不動庵 碧洲齋

私が尊敬する東郷平八郎を演じる渡哲也さん、シブかった。