不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

成人するという事

2022年春から今まで20歳だったのが18歳から成人として認められるようになりました。

労働人口が減ったとか、子供の数が減ったとか、色々思惑があると思いますが。

20歳が成人として定められたのは1876年の太政官布告からだそうです。

で、いつも不思議に思うことがあります。

江戸時代までは武家では15歳が成人でした。それ以外の身分でも色々調べてみるとやはりある程度一人前に仕事ができるようになると大人として見なされていたことが多いようです。要は労働力たり得るかどうかという分け方。

明治政府は1872年には6歳以上の男女は学校に行くよう学制を公布しました。

日本では江戸時代から既に農民を含めて識字率が非常に高く、恐らくここ2.300年に限って言えば世界トップであったのではないかと思います。これを国法として子供たちに学ばせる方針を命じ年には既に制定したという事実に驚かされます。

で、そのたった4年後には「20歳が成人である」と制定されました。明治政府の多くは元侍です。彼らの習慣ですら15歳で成人だったところを20歳にまで引き上げました。

考えてみて下さい。当時の平均寿命は今より遥かに短かったのです。

ネットで調べた限りでは分かりやすい表では1891年しかありませんでしたが、この時代でも平均寿命は50歳にも届かず。ま、この「平均寿命」は多くの人が50歳前後で亡くなるという意味では無くて、生まれてすぐ死んでしまう人、病気や事故で早くに死んでしまう人がいるので平均がそのくらいになるという事です。長く生きた人は大変貴重ですし大事にされたことでしょう。アフリカの諺には「老人一人の死は1つの図書館が焼け落ちたようなもの」というのがあるそうです。老人は知恵の権化だというのは世界共通ですね。

そういう平均寿命の中で20歳まで大人として認めないというのはどういう考えだったのか。

ざっくり当時の平均寿命が50歳で成人が20歳なら、現代で言えば平均寿命80歳として32歳が成人という比率になります。明治政府はここまで子供を大事に教育してから大人にさせるつもりだったのでしょうか。富国強兵とか色々な思惑があったにせよ、子供たちにできる限り多くの教育の機会を与えようという意図は読み取れる気がします。さすが英邁なる政治家たちがきら星のようにいた明治政府は素晴らしい。

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一方で海外では18歳成人の方が圧倒的に多い。18歳で自分のことができるようになるべしということ。確かに高卒でちゃんと就職もできますからそれでもいいのかなとは思います。しかしながら政府の思惑は明治政府のそれと較べるとゲスッぽい気はしますけどね(笑) やはり現代の政治家はそういうレベルと思わねばならないのでしょう。

そういえば明治天皇教育勅語も1890年に発布してますね。やはり明治時代の人の教育にかける意気込みが今の日本を築いたと言えると思います。

平成三十年水無月十四日

不動庵 碧洲齋