不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

「早く動く」「速く動く」

【早い】

1.ある基準よりも時間が余りすぎていない。また、

2.ある基準より時期が前である。

3.まだその時期ではない。その時期がまだ来ていない。

4.簡単である。手っ取り早い。

5.時間を置かないで次の動作や物事が行われる様を表わす。

【速い】

物事の進む度合いが大きい。動作、進行などが速やかである。

私の永遠の課題です。

「早く動く」ことと「速く動く」ことはイコールでもあり、相反する場合もあります。見ての通り、「早い」は「速い」の上位概念で、「速い」は「早い」の中でも「スピード」に特化した単語です。

ヒトが自然界から派生した生物であることから、本能には決して逆らえません。

なので脳の奥深くにプログラムされた事態には本人の意志に関係なく必ず決まった反応を示します。

例えば・・・

止まっているものよりも動いているものに注意が行く。

より早い動きに注視する。

異常行動には注視する。

周囲環境が異常だと警戒する。

敵性個体が近くに来れば警戒する。

などなど・・・

これらの条件反射は何万年も前から個体が敵性個体の脅威から生存する為に生まれたときから備えられた反応だと言われています。

男だったら美人に目がいくのも何万年も前からの本能です(笑)。

高校生の時、ブルースリーの華麗な動きに魅了されました。

目にも止まらぬ早さと力強い攻撃。

武芸を志した人なら一度は素晴らしいものに映ったはずです。

もちろん今でも尊敬する人ですが、32歳の若さで他界しました。大変厳しい言い方ですが、そんな年齢で死んでしまうようでは武芸者としては全く以て失格です。武芸者はまず何を置いてもサバイバーたるべきこと。どうも体調管理等がよくなかったようです。

彼が立てた流派は截拳道、一般的にはジークンドーとして知られています。個人的にはかなり完成度の高い武術だと信じていますが、残念ながら同時に未完の流派だと思っています。少なくとも始祖が高齢で天寿を全うするまで研鑽に励んで、それでやっと一流が確立するものです。

あの異常な速さは実に素晴らしい、が、あれを70歳、80歳まで維持することはまず不可能です。駿馬も老いては駄馬に劣るの喩えのように、どんな肉体も老いには勝てない。

そこでブルースリーなら老いた肉体をどのように扱うのか、とても興味があった。スピード以外に何を以て技術を補完したか。これがどうしても知りたかった。今となっては分かるはずもなく。市販されている本を読んでも分かりません。先見の明のあったブルースリーです。何も考えてなかったとは思いませんが、どうすべきかは謎のままです。返す返す惜しかった。

武芸に於いては速力は大変重要な要素です。何と言っても手軽で間違いがない。古来から遅くて良いとされる動きは実戦ではありません。

一方で速さは命取りになることも然り。速力を上げる為には大変なエネルギーを要します。目的を完遂できなかった場合は膨大なエネルギーロスになります。相手がひとりならいざ知らず、3人もいてエネルギーロスが発生したらまず勝てません。

また、速力が上がると慣性がかかって制御が難しくなります。速ければ速いほど、制御は軌道を僅かに逸らせるほどしかできなくなり、引き戻したり直角に軌道を変えることが困難になります。

慣性がかかると言うことはバランスの維持にも大変なエネルギーを要します。例えば回し蹴りなどがそうです。私は何度もカウンター攻撃した経験がありますが、狙わせてギリギリで躱し、ほんの少し軸を狂わせると相手は信じられないほど簡単に転びます。自爆に近い感じです。

最後に人間の本能は自然界に於いて異常な動きに、より注視するように出来ています。異常な動きと異常な速度、しかもその前提で敵を眼前にしているのですから警戒レベルはマックスです。そこにきて高速度の動きをするというのは大変なリスクがあります。

以上の事からルールに縛られる、極めて局地的な闘争であるスポーツ格闘技では他の条件が異常に軽減されている為、スピードが重視されるものの、武術と呼ばれる集団では必ずしも速度が第一というわけではありません。そういうことで変幻自在の動き、虚実の動きが重要視されます。

変幻自在の動き、虚実の動きとは言ってもそれは相手を騙したり目眩ましにするというわけではありません。(もちろんそれもありますが)

脳の知覚をギリギリ遅延させられる程度に自然に収まる速度、異常を知覚させにくい動き、警戒心を起こしにくい雰囲気、これを最大限度有機的に活用し、攻撃する。これを「早く動く」と呼びます。

そういう意味では「早い動き」は必ずしも「速い動き」ではありません。もちろん体の部位で速く動かすところはありますが、それは言葉ではなかなか言い表しにくく。

当流の宗家の動きなどがそうなのですが、あまりに自然すぎると実際に見ても脳に焼き付けるのも一苦労です。本当に記憶することが難しい。

(しかも宗家は何度も同じ事をしなかったりするので)

「速くない」動きで「早く」動く、これは非常に効果的です。疲れにくい。

これをどのように体現するか、これがまさに重要なところですがこの辺りは各々考えて頂きたく。

私自身、最終形態は脳裏にあり、稽古方法も7割方確立しています。しかし何と言ってもとてつもなく難しい。・・・とはいえ、江戸時代ぐらいまでのひとかどの武芸者なら多分、普通にやっていたかも知れません。

ただ言えることは道場の稽古だけ、畳の上だけでいくらやっても絶対に体現できません。特に100年前に比べて体を動かすことが極端に減った現代に於いては、可能な限りのプラスアルファの錬成なくしては達することは出来ないことは間違いない・・・と思います。あくまで私見ですが。

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平成二十七年如月九日

不動庵 碧洲齋