不動庵 碧眼録

日々想うままに徒然と綴っております。

不自由を常と思えば不足なし

昨今、地球温暖化阻止に向けて国際社会が色々動き始めています。少々驚いたのは自動車会社が想像以上に急に脱石油燃料化に向けて動いているということです。個人的にはあと半世紀とかそのくらいのスパンで考えていました。主要各国の政府の動きを見ていると、最近秘密裏に科学者の会合などがあって、相当深刻な事態になっているとか、話し合われたのかと勘ぐってしまいます。

以前読んだ地球環境に関する書籍には、もし地球上の人々がアメリカ人と同じ程度の暮らしをした場合、それに必要な資源は地球11個分に相当する、あるいはアメリカ人の代わりに日本人と同じ豊かさにした場合でも地球4個分の資源を要すると書かれていました。それが今まで元々ひとつしかない地球1個の資源で済んでいるのは、発展途上国の人々が大変貧しい暮らしを強いられているからです。よくよく考えると恐ろしい限りです。

それはともかく、地球ひとつ分の資源しか無い我等が地球人類が活路を見出すためには、貧しい国の国民たちにもっと節制しろ、とはもちろん言えない以上、十分豊かな国の国民たちが身を切って節制する以外にはありません。これ以外にはないです。どんな素晴らしい省エネの工夫も、国民1人ひとりの節制にはかなわないと思います。

 

突然ですが、戦国時代の2人の武将がなかなかいいことを言っています。

1人は元祖伊達男の伊達政宗公の遺訓(の一部)
原文
「氣長く心穏かにして、萬(よろず)に儉約を用て金銭を備ふべし。
儉約の仕方は不自由を忍ぶにあり。此の世に客に來たと思へば何の苦もなし。」
現代訳
「穏やかな気持ちで倹約し、蓄えをすることだ。
倹約とは、自分が不自由であることを我慢することである。
自分はこの世に来た客と考えれば辛いこともない。」

 

もう1人は東照大権現徳川家康公の遺訓(の一部)
原文
「不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。」
現代訳
「不自由が当たり前と考えれば不満は生じない。心に欲が起きたときは、苦しかった時を思い出すことだ。」

なかなか味わい深く感じます。


今あるちょっと便利な文明の利器を我慢する、と考えてはいかがでしょう。
例えば自動車、移動手段としてみた場合ですが、重量70キロの人間を一人移動させるのに、軽自動車であってもその10倍近い質量を内燃機関で動かします。これはかなり不経済です。インドネシアでは朝夕の混雑時に自動車を使う人は道端の知らない人でも同乗させないと交通法に違反するらしいですが、まさにそんな感じでしょうか。私は自動車を手放して7年以上になりますが、首都圏に住んでいることもあってほとんど不自由しません。そしてちょっと暑いとき、ちょっと寒いとき、雨が降っているときなど、「こういうときに車があったらなぁ」とは思いますが、そこが先進国国民の我慢のしどころではないかと思っています。どうしても必要な時なレンタカーを借ります。

 

こんな事ができるのは都市圏に住んでいるからであって、そうでない場合は車は必須でしょう。ただたとえば冷暖房にしろ、ゴミ捨てにしろ、買い物にしろ、地球環境を慮り、ほんの少し我慢してグレードを落としたり、買うのをやめられるものはやめてみてはいかがでしょうか。具体的には個々で考えていくしかありませんが。

地球人類はどっぷりと文明の利器に浸かったまま贅沢をしながら破滅していくのか、人類の英知と道徳を振り絞ってギリギリの所で活路を拓けるのか、この21世紀は重要なターニングポイントではないかと思います。私は息子や孫が地獄を見るぐらいなら、自分が地獄の苦しみを味わってもよいと考えてます。子供への愛情もそうですが、どんな生物でも持ち合わせている種族維持本能がそうさせています。もし人類が進化過程で種族維持本能よりも快楽を求める本能が強いというのなら、それはそれで大自然の摂理は人類にはすでに破滅するプログラムを仕込んでおいたと言う事になりますが、私はどうしても抵抗したいところです。

 

令和参年葉月二十日
武神館 不動庵道場
不動庵 碧洲齋

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