不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

一人の戦死

ロシアの友人たちと親交を持ってから17年ぐらいになるでしょうか。
その間に何度かロシアに観光に行ったり、逆に彼らが日本に来たりしていました。
人の固定観念というか先入観というものは恐ろしいもので、メディアや映画、ドラマのロシア人と実際のロシア人がこんなにも違うものかと驚いたものです。
ロシアのイメージでほぼ合っていたのは冬はとても寒いことと信じがたい程の美人が多いことぐらい。
そしてかなりの日本びいきが多い(笑) 日本ではロシア人に対していいイメージを持っている人は少ないですが、ロシアでは逆です。これは驚きましたね。

ロシアで2番目に仲の良い友人がいました。
彼はモスクワから北に400キロほどのところにある工業都市チェレポヴェッツに住んでいました。
彼はソ連時代末期からロシア時代にかけて陸軍の軍人でした。多分10年ぐらい在籍していたと思います。
そしてご存じの通り、その頃はロシア国内は大変な時代だったため、結婚したばかりの彼にはとても軍隊の給料では生活できず除隊したと言っていました。ちなみに現在でも軍の給料は決して高くはありませんが当時に比べて5倍以上にもなっているそうです。最も物価の高さもあるでしょうからやはり今でもそれほどいい給料ではないのかも知れませんが。
除隊後色々仕事を転々としたようですが、知り合った頃はセキュリティー設備関連の仕事をしていました。
除隊したことには少し未練があったようにも感じました。
とは言え陽気で温厚な性格で、奥さんとの間に賢そうな長男と、美少女と言って差し支えない容姿の長女がいました。
今は恐らく長男は大学生か大学卒ぐらいで、長女は高校生ぐらいでしょうか。
後で知りましたが奥さんはロシアにおいて第2政党であるロシア連邦共産党のチェレポヴェッツ支部の婦人部部長とか、そんな感じの役職だったようです。以前はともかく今はもちろん、プーチンの政党である統一ロシア党に同調してます。

ウクライナ侵攻が始まってから約半年後、彼がウクライナ侵攻に当たって自ら進んで陸軍に再入隊したと聞きました。
動員令ではなく、本人の意志で参加したようでした。配属先は野戦砲部隊で、小隊を任された指揮官になったとのこと。普通小隊長は士官のはずですが、今のロシア軍の人材払底を考えると経験のある下士官であれば小隊長ぐらいには任命されるのだろうと想像しました。

その話を聞いたとき、私は本気でかなり怒りを感じてフェイスブックの友人から外しました。
そしてこの侵略戦争にけりが付いてまたロシアに行く機会があったらそいつに会って、全身全霊から渾身の一撃を食らわせてやりたいと思っていました。とにかく一発か何発か分かりませんが半殺しにしてやろうとすら思っていました。
まあ、もしかしたらその時になったら自分の判断が如何に愚かで恐ろしいものだったか反省して謝るのかもしれないとか、ずっとそんなことを考えて怒りを溜め込んでいました。

昨日、ロシアの友人からメッセージが届きました。
その件の友人は去る4月27日に戦死したとのことでした。そして本日5月22日に彼の遺体が故郷に戻り、葬儀が執り行われるとのことでした。
自分の友人が戦争に行くこともなかなかイメージできなければ、自分の友人が戦死するなどと言うことも全く想像外でした。戦争が終わったら普通に会って私にボコボコに殴られるということしかイメージできませんでした。
ほんの少しだけ、もしコイツが戦死しても愚かな判断の結果であり、奴が死んでも悲しまないと思っていたのですが、仕事中にも拘わらず涙が止まらずさりげなく工場の片隅に逃げるように移動してしばらく泣きました。自分でこれほど泣くとは思いませんでした。
ロシアのこの侵略には全く何の大義がありません。釈明ができないぐらい悪の諸行です。
従ってこれに従事したロシア軍人が死んでもロシア以外の国では全く不名誉な戦死です。無駄死にといってもいいぐらいです。
それでも彼の死にここまで衝撃を受けたのはやはり友人だったから。
彼の決断は全く愚かでしたが、よく考えたらこの状況下、いつかはロシア政府から動員令が下されるのは明白でした。もしかすると動員されるより率先して参加した方が給料がいいと思ったのかも知れません。実際に割増給与が約束されていたので今のしがないセキュリティー関連の仕事よりは身入りが良いと判断したのかも知れません。また、家族4人であまり英語が話せないのでは海外に脱出は難しいと思ったのかも知れません。
よく考えたら彼が愛国心からそうしたのかどうか分からなくなりました。単純に家族をより幸せにできるからと思って軍に身を投じたのかも知れません。また、プーチン政権下では否応なしに命令されますから、それならと率先して入隊したのかも知れません。
そう考えるともう少し彼を理解してあげられなかったのだろうかと、自分の短慮に後悔ばかりが先立ちます。

この21世紀に、戦後の高度経済成長期に生まれ育った私が友人の中に戦死者が出るとは全く想像できませんでした。武門の中には軍人もいます。そしていわゆる戦場帰りとも何度も会ってきたことがあります。軽い戦傷を受けた人とも会ったことがあります。しかし私にとって戦争はせいぜいその程度だと思っていました。

日本は1945年8月から79年間、一貫して他国を侵略したこともありませんし、侵略も受けてきていません。国連関係の活動でも後方任務が大半で、公式な戦死者はいません。しかし殆どの他国、特に先進国では少なくとも数人から10数人単位で兵士が亡くなっています。私が所属する武門には多くの海外軍人がいて中東や中南米といった危険地帯で任務に就いていたこともあります。それでも一方的な侵略を防衛したとかの任務ではありませんでした。
ウクライナにも当流の同門はいて、連絡はありませんが多分何人か戦死していると思います。

私の母方の祖母は母に「お父さんは戦争によって殺された、アメリカに殺されたんじゃない」と言っていました。
今はよく分かる気がします。ロシアであれウクライナであれ、結局は権力者たち同士が起こした諍いに巻き込まれて殺されるのです。もっとも今回に限って言えばほぼ100%ロシアに非があるので、ウクライナには何の瑕疵もありませんが、ロシア軍の兵士らの多くは権力に抵抗することができない小市民で訳も分からず戦場に連れてこられたことが大半であることは悲しむべき事です。

残念なことにロシアの同門にはプーチンを支持している人がいます。
そういう連中は本当に許し難いですが、よく考えたらロシア帝国臣民、社会主義国家市民を経て、今はいびつな国家の市民でしかないわけですから民主主義国家の市民が持つべき理念や権利、義務というものを理解できなくて当然と言えば当然です。余り同情は湧きませんが、ロシア市民の少なからぬ数も同情すべき人たちなのかも知れません。

友の行為は決して許されるべきものではなく、その死も全く名誉なものではありませんが、それでも私は彼の死を深く悼みます。


令和六年皐月二十二日
不動庵 碧洲齋

在りし日の我が友、Dima Vakhrameev