不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

戦死者は数ではない

私は戦史関係を調べるのが好きな関係で、その中で「戦死者数」を比較することもあります。
もちろんいい大人なので死者は単なる数値ではない事は概念として理解してますし、戦争のむごさも戦争を体験した親から聞いて良く理解していたつもりでした。
しかし一昨日、ロシアの友人から懇意にしていた同国同門が戦死したという連絡を受けて想像以上の衝撃が走りました。

今回の侵略は100%ロシアが悪いに決まっています。どこにも大義はありません。
翻ってウクライナは2008年に東部やクリミア半島を占領されても軍事力の差などから涙を呑んで耐え忍んできたところに更なる侵略をされたわけですから100%大義があります。言ってみればナポレオンやヒトラーに侵略された時のロシア帝国やソ連のようなものです。ヒトラーに侵略されたときはさすがの米国も大量の物資をソ連に供与しました。米国がいつも正しいとは思いませんが、この場合は十分なぐらい大義があります。(もっともそのせいで北方領土の侵略をほのめかされましたが)

とはいえ実際戦場で死ぬのは1人ひとりの兵士で、彼らには家族や友人といった人のつながりがあります。本当にタダの数字ではありません。
また、1人ひとりの兵士らには義務だったり国家権力の強制があったりして、たとえ民主主義国家だったとしても非常時には自由はかなり制限されます。ましてやロシアのような独裁国家ではもともとまやかしの自由しかないところに政府の都合で起こした戦争のために一般市民が強制され戦わされます。
戦いたくない市民はもちろん多くいますが、海外に脱出できる人はごく僅かです。日本人だったらどうでしょうか?まず最低限度英語ができないと話になりません。また、海外にコネがない人も恐らくかなり海外移住は難しいと考えます。政府主導で移民脱出計画があったとしても果たして海外に逃げようと思う人が行ったいどれ程日本人の中にいるでしょうか?
そう考えるとロシア市民も同じで、海外に逃げようというのはよほど海外でも必要とされるようなスキルか富裕層、あるいはコネがある人だけです。それ以外は来るかもしれない政府からの動員命令通達を待つだけです。良心による徴兵拒否の場合は逮捕されて刑務所に行かされますが、やはり今回は刑務所に行ってもそこから強制的に戦場に駆り出され、もしかすると動員に従わなかった場合よりも酷い装備で過酷な戦線に放り出されるかも知れません。
それならと、予備役だった人や徴兵経験がある人は積極的に軍に参加する方がまだまし、という目も当てられない状況になります。
民主主義国家においてすら政府に盾突くというのは大変勇気が要りますが、ましてやプーチンの独裁政権にノーと言うのは自殺行為に等しいと考えます。ましてやロシア帝国からソビエト連邦に変遷して、現在が歴史上一番民主的というロシア市民にどれほど政治的権利を行使できるものか。

決してロシア側をかばっているわけではありません。何度も言いますが今回はロシアは完全に悪です。
ただ悪の諸行に加担させられている名もなき小市民はそれを拒否することすら許されない哀れな存在でしかないという事です。
しかもどのような形であれこの戦争が終わってからかなり長い間はロシア人と言うだけで悪者扱いされることは明白です。民主主義国家の市民は「一応選挙らしいことはしているのだからお前たちに責任がある」と言うと思います。確かロシア帝国時代やソ連時代に比べると全然責任がないわけではないのも頭の痛い問題ですが。

毎日両サイドで多分1000人単位で人が死んでいます。そしてそれは両側の市民同士の憎しみからではなく、一人の権力者とそれに付き従う者たちの野心のために起こされています。その1000人には多くの関連した人々がいて、文字通り数字ではなくなっています。戦死したロシアの友人には奥さんと息子と娘がいました。どのように戦争が終わるとしても、子供たちが大人になるころにはこの戦争ではロシアには何の大義もなかった事を理解して、世界中から冷ややかな眼で見られてしまうと思います。私はそれについても胸を痛めます。(それ以上にウクライナの惨状に胸を痛めていますが)
結局の所、戦争は誰も得をしない、人は敵ではなくて戦争そのものに殺されるというのは概して正しいように思ったのでした。


令和六年皐月二十三日
不動庵 碧洲齋

ロシア南部の草原、ここから100キロぐらいの所にウクライナがある