不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

道中談義

週末は妻の実家に家族で行きました。 往路は妻の方が1日早く出たので息子と二人で土曜日の昼頃に家を出て一路鉄道で岡崎まで。 新幹線の中で、私はこんな事を話しました。 「友人は大事にすべきだ。また、親友は長い付き合いになるかも知れないからいつも礼節を尽し義と和を重んじること。ただ自分の志が高くなるにつれてどんどん合わなくなってくる友人は必ずいる。それは致し方のないこと。自分も友人も友に高め合うのが一番だが、私の場合は3人ほどいた親友たちはいずれも袂を分かつ感じになってしまった。どこまで付き合うべきだったか今でも考える。」 親友と呼べるほどの友人はまだいないようですが、私の言わんとすることは理解してくれたようです。 今度は息子からの質問。 「人はどうして産まれてくるのか。生まれたらただ死ぬだけなのに何のために生きなければならないのか。どうやって自分のすべき使命を見つけるのか。そもそも使命はあるのか。」 書いたら長くなってしまいますが2時間近くずっと、禅仏教や基督教の考えを踏まえてずっと話し合いました。14歳なりに色々考えているようですが、私の14歳の時とは比較にならないほどに智慧のある見識に驚かされたものでした。 世に生まれてきた理由、生きるための使命、死の訪れ、私が14歳の時はそんなことは考えもしなかったように思います。 取り敢えずは今此所のすべき事を丁寧に一心に行うことは一番分かりやすく間違いないことで、その積み重ねの上、いつかは分からないにしてもそれを続けていればある日分かるようになる、自然の中で花が咲くようにふと気付くときが来ると言っておきましたが・・・。
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豊橋駅で降りてローカル線で東岡崎まで。新幹線ではずっと白熱していたので二人とも爆睡しました(笑) 東岡崎に着くともう薄暗くなっていましたが歩いて15分ぐらいの岡崎城に行きました。もう何度も来ています。まだ城内には入れそうでしたが時間もなかったので城をぐるっと回っただけでした。 息子に家康の逸話を一つ話しました。 「あるとき家康が大阪城に来た折、秀吉は家康を呼んで宝物のように大事にしている数々の茶道の名器を見せびらかし言いました。『家康殿も何か自慢できるような宝をお持ちですかな?』家康は飄々として言いました。『はいございます。私が今川の人質でいた頃から変わらぬ忠誠を尽して付き従ってくれた家臣たち、彼らは私にとってかけがえのない宝です』と言い返したところ、秀吉は返す言葉もなかった。」 息子は物質主義ではありません。人智を越えたものがあることも知って畏敬の念を持っています。歴史的な遺構や逸話から何かを感じてくれればと思います。
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平成二十九年臘月十八日 不動庵 碧洲齋