不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

すごいものを観た

土曜日は息子と出かけました。

行き先は東京都西部。20年来の友人夫婦です。

そうか、もう知ってから20年にもなるのかと、書いていて驚いています。

彼らとは名古屋や福岡に赴任の際に一緒だったばかりでなく、遠くは豪州メルボルンで一緒に働いたことがあります。いわば戦友のような関係でしょうか(笑)。

現在友人夫婦には娘さんが二人いて、長女は中学校1年生。

その娘さんが所属する吹奏楽部の演奏会ということで、今回久しぶりに行った次第です。

娘さん二人は生まれたときから知っていますので、自分の娘のような感じです。

中学校の吹奏楽部と侮るなかれ、学校は普通の公立中学校ですが、全国大会などで何度も金賞を受賞している常連校。そこいらの中学校とはワケが違います。私も実際に演奏を聴いて度肝を抜かれました。部員たちはもちろんのこと、OBやOG、先生方や保護者の皆様まで、相当熱心なサポートをしています。卒業生には有名な音楽家もいましたし、講師陣も有名な方が多いとのこと。1200席以上もある大ホールが満席になり、最初から最後まで驚かされっぱなしでした。

今回、演奏会に行って思うところが幾つかありました。

友人の長女は小学校の時、しばし不登校気味でした。イジメではなさそうでしたが、多分精神的というか内面的な問題だったと思います。とても可愛らしく、明るいこともあり、私はいつも心を痛めていました。また、中学生になったら大丈夫だろうか、と思うと暗澹たる気持ちになったのは一度や二度ではありませんでした。

しかし土曜日の演奏会で彼女の熱演を観て、悟るものがありました。

艱難というものは艱難以上でも以下でもなく、それをどう捉えるのか、それが私たちの志の在り方と思った次第です。彼女の場合は不登校という状態はギリギリまで引き絞られた弓のようなものではなかったか。中学生になった今、まさに解き放たれた矢のように、まっしぐらに突き進んでいるように思いました。聖書の言葉にあります。「艱難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生みだし、練達は希望を生み出す」ローマ人への言葉ではなかったかと思います。まさにその好例でしょうか。友人宅の家の戻ってからも彼女の様子をじっと見てましたが、瞳の輝きが格段に増していました。彼女の小学校時代を想像して当る人はまずいないでしょう。そのぐらいの変貌を感じました。若者のパワーというのはやはりすごいものです。彼女を観て勇気を奮い立たされました。人生の半ばを渡りかけ、矢の勢いを削がれかけた私にはとても有難いことでした。

今回の演奏会では驚くなかれ、44名の部員のうち20名が1年生で構成されています。つまりこのメンバーで全国大会に出て金賞受賞に輝いたわけです。中には小学校の時から音楽や楽器に慣れ親しんでいた人もいたのでしょうが、例えば友人の娘御などは別段そういう環境でもありませんでしたし、他の多くの1年生も同じようだったとのこと。それを統率して頂点に導いた指導者もさることながら、恐らく過酷と言っても間違いないであろう日々の練習に打ち込んできた中学生部員の熱意に心打たれました。

武芸者的視点からちょっと。

ステージ右端でコントラバスを弾いていた女の子が2人いました。ちょうど2人、並んで立っていたのでしばらく眺めていましたが、動作でその2人の差が歴然としていることに気付きました。

1人は無駄な動きがなく、小さく細い身体ながら、大きなコントラバスを無理なく保持して、落ち着いて弾いていました。

もう1人はまだまだ弓の動かし方にやや難あり。無論こちらが1年生です。私も二胡を少しだけ弾いていたので分かるのですが、弓の操り方がうまい人はやはり演奏もうまい。

1年生女子部員の名誉の為に言っておきますが、彼女の演奏は普通の中学校の吹奏楽部の部員などと比べるのも失礼なぐらいうまいです。1年生とは言え全国大会で優勝したチームですから、相当うまいことは間違いありません。2年生に比べると相対的に、という意味です。

私が言いたいのは、たったの1年の違いで、歴然とするような差が出るほどの練習を彼女たちはしているということ。若い力の躍進力が違うのか、練習量が違うのか分かりませんが、1年多く練習するとこうも違うのかと、内心ずっと唸りっぱなしでした。

365日これは誰にも公平に与えられた時間です。これを生かすか殺すかは全く自分たちの手に委ねられています。反省することしきりでした。

OGの方で、マリンバ奏者として有名な女性がいました。マリンバは木琴の一種です。どんな弾き方をするのか興味があったので、じっくり拝見させていただきました。彼女は小柄だったのですが、マリンバの幅は広く、左右に数歩歩かねばならないほどです。演奏中、彼女の足の動きに注意を払っていましたが、絶妙でした。運足、体のかけかた動かし方、重心の動かし方。キーを叩くタイミングは完璧に理にかなった瞬間ばかり狙っているので、非常に素晴らしい音が出ていました。それに比べたら私の武芸などはお遊びみたいなものです。

中学生部員でも下半身で演奏している部員の方はきらりと光るものがあります。中学生からそれを飲み込んでいたら、かなりのものになるかと思います。友人の長女さんは打楽器担当でしたが、なかなかの腕前でした。これからの活躍が楽しみです。

友人宅に帰宅後、一緒に食事をしましたが、1年ちょっと会わなかっただけで、長女は小さな女の子から、女性の卵に変貌したような雰囲気になり、少々寂しくもあり嬉しくもあり。放たれた矢が衰えを知らずにまっしぐらに原野を突き進んでいるような、そんな気がしました。

そういうこともあり、早速今日から勉学と禅、武芸に日々少しでもいいので精進して参りたいと決意したのでした。

平成二十五年卯月朔日

不動庵 碧洲齋