不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

ゴジラ -1.0

短期間に同じ映画を2回も観るケースは滅多にありません、もちろん。
しかしこの「ゴジラ -1.0」はそれ程までに大変面白い作品でした。
実写、アニメ問わずゴジラ映画の中では多分一番おもしろかったと思います。
ストーリーがゴジラでなくとも楽しめる作品というレベルでしたが、大戦時の各種兵器が多く出てきたのがミリタリーマニアにはたまりませんでした。
なるべくネタバレ回避しますが、ネタバレもあるかもしれません。
今回は登場兵器について(笑)

まず時代設定ですが、現代ではないところが絶望的とすら言えます。
現代であればかなり多くの攻撃オプションが選べますが、終戦からわずか2年後の日本です。
既に帝国陸海軍は解体されていて、しかも国を守る自衛隊どころかその前身である警察予備隊すら組織されていないという絶望的状況。駐留している米軍はソ連を刺激しないために大規模な軍事行動は起こせないということでしたが・・・イヤイヤここまで異常事態なんだからちょっとは手を貸せよ、って思いました(笑) ただ戦後2年ですから戦時体制だった軍隊からは徴用兵達はどんどん除隊させていったと思うので、米軍の軍事力も余り当てにはならなかったと想像します。

冒頭の零戦、動いているのはVFXだと思いますが、木戸島に着陸する際の主脚がリアルでした。250キロ爆弾を抱えた零戦が着陸するのできちんと主脚の油圧サスペンションが稼働していました。これが稼働している映像は初めて見ましたね。また、主脚が下ろされるときも機体によって左右どちらかが先に出るらしいのですが、それも折り込んでいる辺り大変凝っていました。

また日本兵たちが帰国する際に登場していた2等輸送船もリアルでした。2等輸送船は日本版戦車揚陸艦ですが、終戦後のため、艦橋左右に設置されていた3連装25mm機関銃が取り外されて、そのスペースには物資が積み込まれていたあたりがリアルでした。私はこの輸送艦が好きなんですよ。

帰国後、市民たちが穴の空いた鍋を直している姿も見ましたが、終戦直後の焼け野原の日本の様子が生々しかったように思います。典子さんが見ず知らずの赤子を託されましたが、私の母方の祖母も同じ事をしました。その時既に未就学の娘ふたりと男の子の赤子がいたにもかかわらず、戦災孤児の女の子を家族にしました。残念ながら祖父は戦死したため女手ひとつで育てたため家は大変貧しく、いわゆるサンヤ界隈に住んでいましたがそれでも大人になるまで立派に育てました。(私の母は次女です)

敷島さんが機雷除去でちょっと生活にゆとりが出てきてから買ったバイク、あれは本物でしょうかね。私はロシアの戦争博物館で戦時中の日本国産バイクを2台ほど見ましたが、全く同じでした。ギアシフトレバーが燃料タンク横に付いているんですよ。劇中でもちゃんと操作していたから戦時中だと陸王というバイクが有名ですね。神木隆之介くんはバイクの運転もできるのかな?

さてゴジラが現れて、軍隊もない米軍もない状況下で、未だ処分されていない旧帝国軍の兵器を一部返してくれるということで続々現れた旧日本海軍艦艇。トップバッターは重巡高雄。主人公たちが乗った掃海艇がゴジラと戦っていて間一髪の所でシンガポールから回航されてきた高雄の主砲がゴジラを直撃します。結構損害を与えたものの結局は撃沈されてしまうのですが、死力を尽した砲撃、ゼロ距離射撃による砲撃など、この辺りは大変素晴らしい描写になっていました。私もこのシーンは好きですね。史実では高雄は艦尾が大破していて動かせる状況ではなかったものの、取り敢えず戦争を生き抜いた船でした。形状が現在のイージス艦に似ていることから結構人気の巡洋艦です。

作中の高雄の画像がなかったので、これは実際の高雄の写真

その後、ゴジラ撃退作戦「わだつみ作戦」のために集められた旧日本軍駆逐艦が4隻。古い順に峯風型「夕風」、吹雪型「響」、陽炎型「雪風」そして松型「欅」。史実でもこの4隻は戦争を生き抜いています。雪風ですよ、あの有名な雪風。雪風がいるだけで何とかなってしまいそうな気分でした(笑) 史実ではこの頃は多分、砲塔は撤去されていたと思いますが、作中では砲塔はあって砲身がない状態でした。魚雷発射管もありました。機銃だけは撤去されていました。結局作戦のために夕風と欅は撃沈されますが、雪風と響は残ります。出撃前の停泊時、1回だけ夕風の艦体に「YUKIKAZE」と描かれている場面がありました(笑) 私は軍艦が好きなのですぐ分かりましたが。それ以外はディティールまで結構凝ったVFXでしたね。当然ながら作戦のために艦体後部は資材積載のために大改造されていて、砲塔も撤去されていたようです。

で、出港直前にゴジラ襲撃を受けそうになった折に活躍したのがこれまた旧帝国陸軍の四式中戦車チト。現実では数両が試作、量産されたに過ぎませんでした。口径も75mmですから高雄の主砲に較べたらマメ鉄砲です。それでもこのような形で出てきたのですから感動ものです。実際、ごく最近まで稼働していた旧日本陸軍の軽戦車があったそうです。砲塔は撤去されて車体だけですが建設作業機械として使われていたというのですから驚きです。

最後のトリですね。試作局地戦闘機「震電」です、はい(笑) まさかのまさか、ここで出てくるとは思いませんでした。で、映画のために作られた実物大模型は福岡県筑前町立大刀洗平和記念館に展示されていることが最近ネタバレになりました。私も是非行ってみたいですね。映画の中では数機が試作でありながら実戦配備されていたという設定、いいですねぇ~。ただ机の上に乗っていた30mm機関砲の弾帯がちょっとサイズ違い(笑) 実物の30mm機関砲弾はざっくり500mlペットボトルぐらいの大きさです。映画のは多分弾丸部分だけだったようなショボい感じでした。
搭載した爆弾の大きさもちょっとおかしい(笑) 4門の機関砲を全部外しても250キロ爆弾積めるかどうか。それに胴体部分に500キロ爆弾って、小さい戦闘機にそんなの積めないって(笑)
仮に積んだらメチャクチャ鈍重な動きになるはず。
まあ、ゴジラへの攻撃がよかったのでいいですけど。あ、実物の震電にはない装備がありましたね。ドイツ製のあれ(笑) Me262にでも装備されていたんですかね。

プラモデルメーカーのハセガワからゴジラ-1.0仕様の震電が販売されているようです(笑)

あと兵器ではありませんが、典子さんが乗車していた戦後間もなくの山手線の車輌がリアルでした。音も懐かしい感じの音です。その頃の山手線は現在の大阪の阪急線のようなチョコレート色だったんですね。街並みもかなりリアリティーがあったのでゴジラ出現はトラウマ級でした。

かなり長くなりました(笑)

令和五年霜月二十日
不動庵 碧洲齋