不動庵 碧眼録

日々想うままに徒然と綴っております。

カムカムエブリバディ

今期の朝ドラ「カムカムエブリバディ」私の世代とほぼ同じなことと、英語が絡んでいることで大変興味深く拝見しています。

祖父母は現在の高崎市に生まれました。祖父は裕福な農家で祖母は貧乏な農家。祖父の家で結婚を反対されて二人で東京に駆け落ちしました。大正ロマンですねぇ~(笑) 二人は浅草界隈に住み、そこで下駄の鼻緒を作って慎ましく暮らし、昭和13年に叔母が生まれ、15年に母が生まれました。母が生まれた翌年に戦争が始まりましたが、祖父が海軍に徴兵されたのは昭和19年1月でした。しかしその7月にサイパン島奪還のための最後の遠征部隊を乗せた輸送船団に乗り組み、辿り着く前に潜水艦によって撃沈されたそうです。

祖父の戦死通知があった後、空襲警報があり、祖母が戦時中に生まれた叔父と母、叔母の手を繋いで防空壕に逃げようとしたところ米軍の戦闘機の機銃掃射の的にされました。繰り返し何度も機銃掃射を受けてパニックになったと言っていました。ただパイロットは殺すつもりはなかったようで最後に超低空で旋回しつつキャノピーを開けて手を振ってから去って行ったそうです。殺す気がなかったとは言え、小さい子供を連れた家族を弄ぶかのように機銃掃射をされた側はどれ程恐ろしかったのか、想像を絶します。

戦後は大変な貧困の中で暮らしました。母も戦後の苦しい時代が本当にいやだったと何度も言っていました。しかし幸いにも母は父と巡り会い結婚しました。
私が3歳ぐらいの時に祖母はガンになりました。祖母が他界したのは私が4歳の頃でした。祖母のことはおぼろげに覚えています。
祖母が入院してしばらくしたとき、看病に来ていた母にノートとアルファベットのテキストを買ってくるように頼みました。母が理由を尋ねると「あの戦争でなんで夫が死んでしまったのかずっと病院で考えていた。」と言いました。母は怒りを噛みしめながら「アメリカ人がお父さんを殺したんじゃない!」と返しましたが、祖母は首を振って「お互いのことをよく知らなかったから戦争が起こった。お互いによく話し合うことがなかったから戦争を避けられなかったと思う」と言ったそうです。だから英語を勉強して欧米人たちと話せるようになれば、将来戦争を避けることができるようになるかも知れない、ということでした。祖母は母にだからあなたも必ず英語を学びなさい、そして孫たちは必ず国際社会人として恥ずかしくない教育をしなさい、と念を押したそうです。

今現在、私は英語を使って仕事をしてますし、世界中にかなり多くの友人がいます。多分平均的日本人以上には国際的だと思います。そしてインターネットを通じて日本文化の紹介をしたり、武芸や禅を通じて日本人のものの考え方をよく話します。どの程度母が祖母の意向を受けて私を教育してきたのかは分かりませんが、先祖の想いが突き動かしているのかなと時々感じます。

どこの言語でも構いませんが、他国の言語を学ぶという事はその国に文化を知ることです。学習するプロセスで見聞きしたことは新鮮で興味深いものが多い。日本人は今ひとつ積極的に英語を話す人が少ない気がしますが、この「カムカムエブリバディ」を観て、もっと積極的に外国人と交流を持ってもらいたいところです。ひいてはそれは必ず世界平和に寄与しています。

令和参年臘月八日
不動庵 碧洲齋

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