不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

「太閤」と「太鼓」

今年の大河ドラマは「どうする家康」ですが、やはりいわゆる「戦国3英傑」が主人公だと盛り上がり方は一段と違いますね。
この「どうする家康」で家康の永遠のライバル、豊臣秀吉を演じているムロツヨシさん、あの怪演ぶりは多分誰もまねができそうにありませんね。本当に凄まじい人間の欲を表現しています。

ところで皆さんは「太鼓持ち」という言葉をご存じでしょうか?辞書によるとじつはこれには正式な役職名があって「幇間(ほうかん)」と呼ばれ「宴席などに出て客の機嫌を取り、その席をとりもつことを職業とする男性」なんだそうです。そこから「人にへつらい機嫌をとる者」という意味でも使われるようになったとか。一説には豊臣秀吉の御伽衆を務めた曽呂利新左衛門(そろりしんざえもん)という者が原典であるそうです。彼は、秀吉が機嫌を損ねた時は「太閤、いかがで、太閤、いかがで」と言い、場を盛り上げたとか。それが、「太閤持ち」から「太鼓持ち」に変化したとも言われています。言われてみれば「太鼓」と「太閤」は似てますね。
今で言えば腰巾着というのかイエスマンというのか、そんな感じの小者が秀吉の周囲を取り巻いていたようですね、大河ドラマでも秀長が危惧してましたが。

実を言うと私も太鼓持ち、腰巾着、イエスマンの類の人は正直好感が持てません。その外側にいるサイレントマジョリティーと違って取り入ろうと忖度すること甚だ大きく、しかも偏りも甚だしい。その曲解や拡大解釈をその外側の人間に押しつけるからです。そう言う人間にはあまり品性を感じたことはありません。
もっとも、私も今まで組織に対して色々もの申す性格が禍して煙たがられることが少なからずあり、結構損な役回りが多かったと思います(笑)
ただ後ろ指を指されたり、道義に悖ることは(なるべく)しないように心掛けています(笑)
要するにどうしても人を指弾する場合はなるべく白い指で指したいという気持ちがあり、そのために我が身の節操を曲げたくないということだと思います。

欧米諸国だとそれ程難しいとは思いませんが、これは日本ではかなり難しいと感じます。
論語にもありますが「六十にして耳従う」「七十にして己の欲するところに従うてその矩を踰えず」というのは理想と現実の見事な融合という意味だと思うのですが、私にその日がやってくるかどうか、自信がありません(笑)

 

令和五年長月三十日
不動庵 碧洲齋

峯ヶ岡八幡神社の御神木、樹齢700年の大銀杏