不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

78年目の広島に寄せて

「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」

 広島平和記念公園の慰霊碑に刻まれているこの言葉は恐らく多くの日本人は知っていることでしょう。

ところで不思議なことに、この文には主語がありません。
これについては過去さまざまな議論がされてきたようです。
多くの日本人は;
「日本人は核兵器など持っていないのに何故我々が誓わねばならないのか。」
「それは核兵器を持っている国が誓うべきことだ!少なくとも日本人ではない」

などなど。
私も以前は大変憤ったものですが、年々視点が変わってきました。

この文を起草した方は現在の広島大学の英文学教授、雑賀忠義氏だそうです。英文学科というからには欧米のことをよく知っていたはずですが、真珠湾攻撃の報を聞くや廊下に飛び出して「万歳」を叫んだそうです。
そして皮肉なことにこの教授も被曝して、1961年に亡くなっています。
己の愚かさをこの文に込めたのでしょうか。
世の儚さを嘆いたのでしょうか。
しかし私はこの文を書いた人は、両極端を体験しただけにとても広い視野と深い知恵を持っていると思いました。

この文の主語はもちろん「人類」です。
しかも、この誓いは人類が協力しない限り決して実現できません。
「我が国は!」「あの敵国は」などと何かに囚われている限り、決して誰も成し得ることが叶いません。それであえて主語を用いなかったのかどうか。なかなか奥深いと思った次第です。

この文は、すべての国家、すべての人類が平和的に調和した社会を前提としているように思います。人類が調和したとき初めてこれを誓うことができるということです。
昨今、インターネットの発達で、国家間のつながりは更に強くなりましたが、親戚同士のようなロシアとウクライナの間ですら戦争が起きてしまいました。やはり人類はまだまだ愚かなのでしょうか。いつも悩みます。

これまで、幸いにも核兵器が使用されたのは日本だけでした。我々人類は人類の歴史が終わるまで、この記録を守り続けなければならないと毎年誓いを新たにしています。
昨今、かなり多くの外国人が広島を訪れて原爆の恐ろしさを知ってもらっています。しかしまだまだ足りません。私たち日本人がもっと世界に発信する必要があります。
核兵器を落としたかつての敵国とすら、有効関係を結び、大局的には平和になれるということをもっと主張していく必要があります。何より世界で唯一核攻撃を受けた日本人がもの申すこの重さを、日本人はもっとよく自覚してほしいところです。

令和五年葉月七日
不動庵 碧洲齋