不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

ヒロシマ

呉から一路広島に戻り、30年以上ぶりぐらいに留学時代の友人と再会しました。
留学時代、よく旅行に行った間柄でした。
天気も良かったので近くの公園で積もる話をしましたが、会った時間が15時過ぎだったので翌日の昼にまた会うことにしました。

翌朝は早朝に起きてカプセルホテルに出て、原爆ドームと平和記念公園を散策後に平和記念資料館に行きました。

早朝の原爆ドーム





原爆ドームは朝と言うこともあり、太陽の光と影の差し方が印象的でした。広島市民には見慣れた光景なのでしょうけど、やはり観光客には重々しく感じます。
多く写真を撮ってから平和記念公園の方に向って歩き、途中、原爆の子の像や平和の灯、原爆死没者慰霊碑を回ってから平和記念資料館に行きました。
原爆死没者慰霊碑では早朝から多くの人が手を合わせていました。私も懇ろに手を合わせました。多くの外国人観光客も来ており、皆例外なくこの世界で最初に核攻撃を受けた都市の遺産を見ていました。

「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませんから」
有名な原爆死没者慰霊碑の句です。昔はこの言葉が嫌いでした。原爆を落としたのは日本人ではないのに何故日本人がこんな事を書かねばならないのかと。今は理解します。主語は私たち人類全部です。この句はどこか1ヶ国と言った小さなことを言っているのではありません。人類全体がこの過ちを繰り返してはいけないと誓っていることがよく分かります。そしてそれは日本人が率先して行わねばならないとも思いました。

広島平和記念資料館

開館30分以上前に来たのですが、資料館には既に100メートル近い列が並んでおり、開館時は私の後ろは反対側の国際会議場までずっと並んでいました。
個人的に個々の入場システムはちょっとアナログすぎます。券売機とかそういうものを用意するとか窓口を増やすなどした方が良いと思いましたが。しかし一度にたくさん入れないようにする工夫だったらこれでもいいのかと思いました。

原爆資料館という博物館は多分かなり特殊です。人の死がありありと映し出されています。それでも私が高校時代に訪れたときはもっと悲惨な写真や資料がありましたが今はかなりマイルドな表現になっているように思います。それでもほとんどの人が黙って静かにそれらの資料を食い入るように見ていました。この静けさは多分、ここだけだと思います。

噴水には虹が架かっていました

最後は国立広島原爆死没 者追悼平和祈念館に行きました。特に何かあるわけではありませんが、犠牲者を悼んだ大きな円形のホールです。壁にはその方位にある町名が明記されています。

国立広島原爆死没 者追悼平和祈念館

1945年末までに14万人が死亡、そして現在まで30万人とも40万人とも言われていますが、要するに78年前に落とされた原爆は今でも人を殺しているということです。
ライフル銃や戦車、軍艦、軍用機などはもしかしたらその国の尊厳や人民、利益、国土などは守るためには有効かも知れません。しかし核兵器はそうではありません。核兵器はそういう小さな定義ではない、もっと人類にとって重要なものを破壊してしまいます。真の意味で核兵器保有国の核は決して保有国を守ることはありません。我々人類が核兵器を廃絶させるべき理由はまさにここにあると私は考えます。

広島と書くと普通の地名ですが、ヒロシマと書いたとき、それはHiroshimaでもあり反核運動の旗手たる都市の名前になります。
現在まで世界で唯一、2回も核攻撃を受けた日本は、世界にその残虐性をもっと知らしめる使命があります。日本人しか知らないこの恐ろしさを可能な限り世界に紹介すべきだと私は思っています。
私は世界中の人々と交流を持っている方ですが、その大半は日本人以上に無知です。核保有国の国民ですら信じがたい程に無知であることが多い。これには何度も恐怖した経験があります。まあこれが人類ですと言えばそれまでですが、核兵器は諦観するにはあまりにも恐ろしすぎるシロモノです。日本人はもっとそれを自覚した方がいいと痛感します。

昨今、ウクライナ侵攻もあって日本も核武装を、という主張が以前よりも散見されます。
個人的には原子力潜水艦や原子力空母などはあっても良いと思いますが、大量破壊兵器たる核兵器にはやはり反対です。

核兵器は人類の未来にとって、いかなる理由でもメリットはありません。

令和五年弥生二十日
不動庵 碧洲齋