不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

核兵器に想う

毎年のことですが、前の戦争や原爆について書いてしまいます。

日本人の大半は核兵器を使用した場合の悲惨さを強調したいと思っている人が大半だと信じます。もちろん、核兵器を使わなくても戦争はしてはならぬとか、一歩譲って原子力の平和利用は仕方がないなど、色々あると思いますが、ともあれ核兵器を使用するとどんなことになるか、この70年近く日本人は努力してきたと思います。

どうも日本人は時々井の中の蛙のような視野に陥ってしまいます。

例えば侍による政治は当たり前の事だと思うととんでもない。腰に刀を差した人間が極めて平和的な施政をしたなど、同じアジアの隣国ですら理解しかねるのに、欧米人に「侍政治は軍事主義とは全く違います」と言って理解してもらえることはかなり難しい。世界のどこであっても、刀を差した人が平和裏に施政をしたという事例は限りなく例外中の例外なのです。昨今ではインターネットの普及によって、かなり理解されてはきましたが、それでも私が知り得る感覚では武道愛好者、日本文化愛好者プラスアルファよりは若干マシになってきたというレベルに過ぎません。もちろんこれは日本人が積極的に日本文化を紹介してこなかったことにあります。

核兵器も然り。現在、世界には195カ国もありますが、その中にあって戦術的に核兵器が使われたのは今のところ日本だけです。しかも2回も使われました。この事実を他国民に伝えるというのは相当難しいと、私などは思うのです。そもそも当事国を除けば単純に理解する以上に国民感情や政治的な配慮などもあります。中国や朝鮮ではよりによって日本に落ちたのなら喜びこそすれ、核兵器の恐ろしさを喧伝する理由はないと思うのが普通です。実際に使った米国も正統性を強調するなら核兵器の脅威については積極的にはなれません。弱小国も理解こそすれ、あまり積極的になれば多分核を保有しているであろう元宗主国からいい顔をされません。

日本人だって原爆の恐ろしさをどのくらい知っているのか、かなり怪しいものがありますが、それでも小中高である程度教えられてきました。そして他国ではそのレベルにも達していない場合がほとんど。ここでいう他国とは核兵器保有している国々という意味です。発展途上国では核の恐ろしさも飢饉や紛争、伝染病の恐ろしさの方が遥かに高く、ましてや発展途上国なら先進国ほど核兵器を落とされる理由は低いと思っています。(確かにゼロでないにしても低いですが)私は今まで米国、英国、ドイツ、フランス、スペイン、ロシア、豪州、インド、イタリア、ブラジル、他数カ国の仲の良い友人らに核兵器の被害についてどのくらい知っているのか聞いたことがありますが、目が点になるような答えが返ってきたこともあります。大型爆弾プラスアルファ程度の知識です。本当に驚かされました。

世界が日本を理解してくれない、などと悲嘆に暮れるのは間違いであると思います。日本人が自らをよく理解していないのだと思います。昔と今の日本人の立ち位置、これからの在り方。一部のバカモノを除けば、今時本気で鬼畜米英などと叫ぶ日本人は皆無に等しい・・・と信じます。(得てしてそういう連中に限って、中韓反日にはヒステリックになるようです)このくらい歴史をサラリと流してしまう民族も少ないように思いますが、それでいて長い歴史や伝統をちゃんと保持しているのだから、米国辺りが嫉妬するのもよく分かると言うものです。

そういう思惑を乗り越えても日本人は核兵器の恐ろしさを世界に知らしめる必要があると考えます。何と言っても日本しかその経験がないのですから。主張を聞いてもらいたければ毅然とした態度はもちろんですが、日本国民がいちいちケチの付けられ処がないくらいにしっかりとした考えを持っているべきではないでしょうか。

残念ながら核廃絶の使命を帯びた我らが日本人使徒の行状を見るに、いささか疑念を呼び起こす義これあり(笑)。こういうレベルでは聞いてくれる人も聞いてくれません。私たちは五本の指でもおつりが来るぐらい少数の反日国家の皆様にも理解して納得してもらえるような国民でなければならないと思うのです。あくまで理想論ですけど。目を三角にして穴息も荒く靖国神社に行ったり、靖国の英霊たちに死してなお鞭打つようなお願いをしたり、時々私は「おいおい、本気で平和にする努力しているの?」と突っ込みたくなります。英霊たちには「これこれこういうことをして、日本を繁栄させ、世界の平和に貢献しました」とか、そういう報告をすることが靖国の英霊たちに対して礼儀をわきまえた祈願ではないですか?天皇陛下万歳!と喝采するのもいいですが、その前に陛下の希望する、期待する言動をしているのか?とも思います。(私だってあまり偉そうには言えませんけど)そういう機微を識り、慎み行い、それでいて国家を繁栄させるための英断も辞さず、日々努力を怠らない、教育勅語にも書いてありますが、まさにあの通りに国民はすることが世界平和にも日本の繁栄にもよいことだと思っています。

ここ最近は先人たちの遺産を食い潰してきているような感あり。事に最近の近隣諸国とのきな臭い摩擦事が取り沙汰される度に、日本人としてあるべき姿を想うのでした。

平成二十五年葉月二十三日

不動庵 碧洲齋