不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

人類が最後に使った核兵器

78年前の今日は人類が長崎で核兵器を使用した最後の日です。 今日の日本人の観点からすれば、人類を滅ぼす恐れのある兵器を過去78年間どの国も使用しなかったという事実の方が、どこかの国が過去に使用したという事実よりも重要です。


未だに78年前の米国を責める人もいます。一体それはどれ程意味があるのか。相手にしてみれば、人の命を兵器の部品の1つと見做して戦術単位で特攻をしかけてくる異常な国に対して異次元の恐怖を抱いたと思います。今そんな狂信的な国があったら私だってあらゆる手段を講じて殲滅したいと思うかも知れません。つまりあちらにはあちらの事情があるという意味です。そんなことよりも 現在、核兵器を保有するすべての国と、核兵器の使用を阻止するために他の国々が行った現在までの努力の結果に注目する必要があると私は考えます。


そして日本国民は地球上からすべての核兵器を廃絶することを望んでいます。 それは核兵器は「相手国」を滅ぼすだけではなく、国という枠組みをも破壊して確実に人類の存続に害を為す兵器だからです。


私の経験から、核兵器を保有する国の人々は核兵器について全く無知であることを知っています。 現在の日本国民の核兵器に関する教育さえ十分とは言えませんが、核兵器国の国民の教育はそれをはるかに下回っています。 これはかなり恐ろしい状況と言わざるを得ません。使う側が使っている兵器に対して無知というのは恐ろしい限りです。そしてそれらを取り扱う、選挙で選ばれた人民の代表方も、一体核兵器についてどれ程のことを知っているのか疑問に思うことはあります。


何度でも言います。 核兵器は、いかなる形態であっても核兵器国を守ることはできず、敵を殲滅することもできません。 それは人類そのものを危険にさらすだけです。
そして核兵器の恐ろしさ、危険性を訴えることができるのは世界でたった1ヶ国、この日本だけです。これは人類や世界という視点で考えるとかなりの重責に思いませんか?私は思います。故に私は毎年、英語で世界の人に訴えています。他の何者でもない、私たち日本人が立ち上がって核兵器の恐ろしさを訴え続けなければならないのです。
そのことを決して忘れないでほしいと思います。

 

令和五年葉月九日
不動庵 碧洲齋