不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

諸葛孔明の手紙 その2

私は諸葛孔明は意外に野心家であったと思います。理由はあれだけ才能がありながら、魏国ではなく、どこの馬の骨だか分からない劉備などと言う50に近いあまり有名ではないおじさんに味方したからです。三顧の礼の時、劉備は47歳、孔明は27歳。私も47歳の時に劉備の気持ちをなぞってみましたが、う~ん、27歳の若造を三度も訪ねて頭を下げることをするかどうか・・・ま、それだけ孔明が尋常ならざる才能を持っていたという事なのでしょうけど。孔明もどんなに才能があっても大企業だと埋もれてしまいます。限りなくフリーハンドで自分の才能を遺憾なく発揮するには中小企業、ベンチャー企業に限ると思ったハズです(笑) もちろん、主君と反りが合う合わないというのもあるでしょうし、三度も家を訪れてきてくれた誠意に心打たれたかも知れませんが。

 

昨日に続き、今日はもう一つの孔明の手紙を紹介します。こちらは自分の子供を誡めるための文だったようです。ちなみに奥さんはもの凄い不美人でしたがよく夫に尽くした賢夫人とされています。

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(書き下し文)

それ君子の行ひは、静以て身を修め、倹以て徳を養ふ。澹泊にあらざれば以て志を明かにすることなく、寧静にあらざれば以て遠きを致すことなし。それ学は須く静なるべく、才は須く学ぶべし。学ぶにあらざれば以て才を広むるなく、志あるにあらざれば以て学を成すなし。滔慢なればすなはち精を励ますこと能はず、険躁なればすなはち性を治むること能はず。年は時と与に馳せ、意は日と与に去り、遂に枯落を成し、多く世に接せず。窮廬を悲守するも、将た復た何ぞ及ばん。

 

(現代語訳)

そもそも君子の行いというものは、心を清くして身を修め、身を引き締めて徳義を養うものである。あっさりと無欲でなければ、志を明らかにすることはないし、安らかで静でなければ、思慮を遠くまで届かせることはできない。そもそも学問は必ず静ではなければならないし、才能は必ず学ばなければならない。学ばなかったならば才能を発揮できないし、志がなかったならば学問を完成させられない。怠りなまけたならば精神を励まし努めることはできないし、心の平静が失われたならば性情を治め整えることもできない。年齢は年々刻々と過ぎ去り、意志も日々弱まって行き、遂には体が衰えてしまい、多く世の中と関わりを持たなくなってしまう。そうなってから過去を嘆き悲しんで貧乏暮らしを守ってみたところで、あるいはまたどうして及びがつこうか。

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高い志を持つ、常に学ぶ、自律を心掛ける、そんな所でしょうか。割とありきたりのことを言っていますが、味わい深いものがあります。よく考えると私も息子に似たようなことを言ってきた気がします(笑) ま、うちは夫婦揃ってそれぞれ何か学んだり取り組むので子供は自然真似るのでしょう。志については私が常日頃、古今東西の賢人の話などをしたり、禅仏教を通じて神仏を尊ぶように言い聞かせたりしてました。親がしている祈りの姿を見せることは子供には有意義だと思っています。

 

実は孔明の手紙はもう一つありますが、これは酒席でのマナーについて他愛のないごく短い注意なので省略します。以上、前回と今回の甥御と息子に宛てた手紙から、諸葛孔明の人柄を偲んでいただけたらと思います。

 

令和参年水無月二十九日
武神館 不動庵道場
不動庵 碧洲齋

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