不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

天皇誕生日のこと

今上天皇陛下は1933年(昭和8年)12月23日に、皇居にてお生まれになりました。

従って終戦時は12歳でした。そして昭和27年、戦後初の皇太子となりました。

今上陛下が一番国民に親しまれているのはやはり今上皇后陛下、美智子様とのご結婚までの逸話があるからだと思います。私も母から何度も聞きましたし、史上初の庶出の皇后というのはやはりロマンスがあります。逆に言えば戦中戦後の苦しみを国民と共にして、今後あるべき日本の姿を追い求めようとした陛下の強い御意志の一端ではないかとも思います。思春期のほとんどは連合軍に占領されていた日本をご覧になっています。やはり何か、歴代天皇とは大きく異なったお考えを持たれたのではないでしょうか。

皇位継承後、陛下の精力的な政務姿勢はよく紹介されていますが、Wikipediaによると「年間約1000件の書類に目を通して署名・押印し、約200回の各種行事に出席し、20件近くの祭儀を執り行う。」とあります。なかなか実感できないと思いますが、年間1000件もの書類と言いますが、私たち会社の机に載せられるようなレベルのものではありません。国家の最上位に位置する書類が大半です。そして目を通す人は日本で最高位の人です。その重圧たるや、我々の想像を遙かに絶していると思います。

また、約200回の行事に参加とありますが、私たちのお出かけとは訳が違いますし、一挙一動がそのまま「日本の代表品位」になるのです。一部の輩が日本人として(もっと一部は人間として)大きく品位を欠いても、諸大臣のクビがコロコロすげ変わっても、大げさに言えば陛下の御威光や御人徳が及ぶからこそ日本人は安堵し、世界でも傑出した道徳心を持った民族と見なされているように思います。

一国民として陛下のご心労を取り除く一番の方法は国民皆が人間性の向上に努めることだと信じています。たったこれだけでも陛下の内憂の半分近くは解消できると思います。明治天皇がお書きになった「教育勅語」などがよいと思います。ちなみに今上陛下も明治天皇を深く尊敬しているそうです。

また、陛下は現在日本の主権が及んでいない先の大戦の戦場、サイパン島にも足を運ばれました。私の祖父はその近海で一船員として戦死しています。本当にありがたく感じます。これだけでも今上陛下の平和に対する強い想いが伝わろうというものです。

日本国憲法の一番最初には

「第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」

とあります。

私は決して右翼ではありませんが、「天皇」という存在こそが「日本そのもの」だと理解しています。もっとも私は日本人はこの国土なくして日本はないと思います。この発言を変に思うでしょうか?例えば豪州や米国は月や火星に行ってもニューアメリカ、とかニューオーストラリアとかいう国が作れます。それは人工国家だからです。国の古さも桁が違います(それが米国人のいわゆるヒスコンですが)。でも日本は違います。日本人もよく分からない遙か原始時代からずっと、この便利とは言い難い小さな島国に少しずつ住み着き(住み始めた人たちはよほどけったいな人だったのでしょう!)、初代天皇の存在すら伝説神話の世界です。だから国土、国民、皇室、どれが欠けても「日本」を冠した国はあり得ないと私は考えます。

さて、後で息子と国旗掲揚をしようと思います。

皇紀弐千六百七拾年 師走吉日 不動庵 碧洲齋