不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

陛下の御宸襟

昨日、主権回復の日式典における、陛下の御表情が脳裏から離れません。

ニュースソースはテレビ朝日でしたので(苦笑)、いささか思うところが私とは異なるのですが、いずれにしても興味深いニュースを放送していました。

主権回復の日式典終了後、陛下の御退場の際、突如として万歳三唱が沸き起こりました。

映像を見た限りでは宮内庁の方々はそれをしていなかったようです。万歳三唱をしていたのは総理大臣以下、霞ヶ関の政治家の皆さんだけのようでした。

また、高良倉吉沖縄県副知事は式典後、「突然でびっくりした。あの場面でそうする必要はなかったかなと。ただ、積極的にしなかったわけではなく、反応できなかった」と報道陣に答えていました。

映像を見たところ、偶然だったのか、意図されたものだったのか、私には分かりません。

そんなことはどうでもよいのです。

天皇陛下は万歳三唱が沸き起こったとき、じっと前を見て厳しい表情をされていたことに私は胸が痛みました。皇后陛下の御表情はやや哀しげでもありました。陛下の御宸禁を安んぜられるものである限りは万歳三唱もよいと思いますが、あのときの陛下の御表情はとうてい、和らいだものではありませんでした。

幾つかネット上の意見を読みましたが、陛下がどうお考えかではなく、自分たちのしたいようにする、それの何が悪いのかというものが目に付きました。この万歳三唱の件は他のニュースでも取り上げたのでしょうか?あまり見なかった気がします。もっともそれを取り上げたテレビ朝日の意図もいかがなものかと思いましたが。

何を以て日本とするのか?憲法か?主権か?国民か?領土か?違います。天皇家を以て日本国と為しています。私はそう考えています。現在で言うなら今上陛下がミスタージャパンであり、彼が日本を代表しています。いえ、正確には彼が日本そのものだと思っています。だから陛下の御宸禁を我ら国民が拝察し、慮って汲み取り、その通りに実行する。正しいとか間違っているとかではなく、日本人であればそうせねばならないと思います。

それを我ら国民が勝手気ままに陛下や皇室を持ち上げて、好きな偶像を作り上げたり利用したりすることは決して許されません。現在の憲法下はもちろん、憲法が変わったとしても、現在の天皇の国民に対する意思表示方法は今後あまり変わらぬと思います。故に、だからこそ我ら日本国民はよくよく世界を見て、歴史を見て、人倫を鑑み、身を慎み、その上で陛下の御言動から、どんなことをお考えになり、求めているかを探し出す必要があります。

無闇に反日活動を続けている国家に対して罵詈雑言を投げ付けることが陛下の意図するところでなければ本来は決してすべきではありません(私も徳浅く、時々我慢ならぬのでチクチク言ってしまいますが!)。正しいとか正しくないではなく、陛下の御心に沿わぬものはしてはならぬのです。それは現行の憲法にすらちゃんと記載されている、国民の象徴なのです。先帝陛下の身を挺しての犠牲心や御忍耐があったからこそ、かつて宿敵だった国ともこれほどまでの友好関係を築いています。やればできます。それが日本人です。そこは幾つかの隣国と峻別され、かつ世界から敬意を持たれている所以でもあります。私はそう信じているから日本人をやっていられると思っています。

日本よりも住みやすい国はいくらでもあります。日本人を快く受け入れてくれる国もいくらでもあります。住んだところで胡散臭げに思われることは少ないでしょうし、よほどのことがない限りは敬意を以て遇されます。物価は日本より高いところは少ないでしょう。気候も住みやすいところが多いかも知れません。地震がないところ、台風がないところいくらでもあります。まあ日本よりは治安がいいところは少ないでしょうけど。日本がいやならどんどん去ってください。

よその国民ならいざ知らず、利便性や移民が面倒だからという理由如きで安穏と日本人たろうとする姿勢は間違っています。日本人であることはそんな簡単なことではないと私は考えます。皇紀で言えば2673年、皇統で言えば第125代の御世を戴き、それでいて押しも押されぬ先進国で、勤勉や真面目礼節の高さを以て敬意を払われている日本人によりかかり、皆が安寧としてはならぬのです。今の私たちがそれを積み重ね続けている、そういう緊張感を持たずに日本人であり続ければ、いつかどこかで手ひどいしっぺ返しが来ると思っています。

主権回復の日、小笠原諸島沖縄県はそれに漏れています。陛下はそれあるからこそ、万歳三唱に厳しい表情をされたのだと私は思っています。また、主権を回復したことよりもそれを維持発展させ、安心して次の世代に手渡せるかどうか、その困難さをお考えだったのかも知れません。唐の太宗が語った創業守成の難しさを脳裏に思い浮かべていらしたのかもしれません。中国や韓国、北朝鮮という難しい問題を抱えたまま開かれた式典にふさわしくないとお思いだったのかも知れません。

私は陛下が万歳三唱が軍国主義っぽかったから、とかそういう次元の低い問題ではなく、もっと広く世界を俯瞰され、遠い過去と未来を慮って厳しい表情をされたのではないかと思います。畏れ多くも平和を希求する方法に万策尽きれば陛下とて先帝陛下とはお立場が異なるとは言え、ご決断の程をお示しにならないとは思いません。しかし、そのような非常の決断を天皇陛下に至らせぬことが国民の務めであり、日本のあるべき姿ではないかと思います。親であれば誰もが分かるはずです。子供がいるこの世代でまた、戦争が始まってしまうことの重大さを。一旦事あれば喜んで国家に奉仕して、文字通り命を投げ出す覚悟を持たねばなりませんが、そこに至るまで叡智を振り絞り、回避できなかった場合、それを日本人としての恥だと言うことです。

朝っぱらからあまり気分のよろしくないことを書立ててしまいました。

私は日本人としての在り方、皇室に対する考え方をこのように捉えています、ということでした。

平成二十五年卯月晦日

不動庵 碧洲齋

*御宸禁:天皇陛下の心の内を指す。