2025年3月29日
移動距離:22.25km
累積移動距離:626.23km
札所:なし
昨日は珍しく8時に宿を出た。実質20キロ程度しか歩かない計算だからである。足摺岬を一路北に向かって海岸沿いを歩いた。少し歩くと意外にも一人の遍路とすれ違った。主要な遍路道から外れているので他の遍路さんと会うとは思わなかった。その後、接待所があり声をかけられたため中に入ってコーヒーとチョコレートをいただいた。数は少ないがこのような場所は時折見かける。天井に張ってある納め札の数からすると長く開いているのだろう。今朝はやや寒かったがここには火鉢が用意されていた。火鉢は久し振りだ。且く歓談を楽しんでから去った。まず目指したのは鵜の岬。道から数分はずれたところに展望台があり、大変景色がよかった。さらに北上すると竜宮神社の入り口に着いた。昨日の観光案内所と先程の接待所の話では弁財天が祭られているらしい。弁財天は芸術の神なので、伝統芸能や執筆活動をしている友人たちのために札所に弁財天があるときは必ず詣でている。しかし今回は最初の分岐点で道を間違えてしまい、荷物を背負って杖を手にしたまま断崖絶壁を這って進む羽目になってしまった。いつもの地下足袋で荷物がなく、遍路での足の疲労がなかったらそれほど恐ろしいとは思わなかったかもしれないが、今回は普通に恐ろしかった。踏み外したら確実に滑落死する高さである。その上風もあった。明らかにおかしいと思って眼下に広がっている岩場を見るとごく小さな赤い物体を認めた、あれが竜宮神社のようだった。また恐怖を押さえて慎重に分岐点まで戻り、今度は竜宮神社に向かった。神社は岩場の中のひときわ高い岩の上にあった。その岩にだけ樹木というか草木が生えていた。周囲も岩場なので大変荘厳な雰囲気だった。しかし神社までの参道は整備されていて歩きやすかった。神社といってもほこら程度の大きさである。西側の海を向いている。参拝後、周辺の写真を撮り退散した。
その後は中浜万次郎生家に向かった。県内のあちこちに中浜万次郎をNHK大河ドラマにすべく誘致活動を行っているようだ。秀吉の弟の話よりはずいぶんおもしろいと思うんだが。
生家はひなびた漁港の集落の狭い路地の中にあった。家といってもいわゆる想像復元されたもので、実際に本当に万次郎の家がこんな感じだったのかは分からない。中には管理人などはおらず無人で、資料などが展示されていた。家の隣が公園として整備されていて、来場者たちが休めるスペースになっている。実際万次郎の家が建っていたと推定されている場所はその公園の隣で石碑が建っている。つまり復元された家、公園、生家跡地の順で並んでいる。跡地には現在は別の方の住宅がある。
次に目指すのは宿、土佐清水市の市街地にある。15時頃に到着して荷物を置いてジョン万次郎資料館に向かった。徒歩で30分程度だったが、宿のすすめで自転車を借りた。基本道中では徒歩で移動だが、宿に着いてから近所の温泉に連れて行ってもらったり、遍路道と関係がない移動の場合は徒歩でなくてもよいことにしている。往路ホームセンターで手袋を買った。作業手袋をどこかで紛失してしまったからだ。また空気入れも借りて自転車のタイヤに空気を入れた。
資料館は市街地から少し離れたところにあり、訪問者もそれほど多くはなさそうだった。
こちらの資料館には本物や複製品が数多く展示されていて、万次郎の生涯の解説と共に見ることができて大変興味深かった。思いの外万次郎があまり活躍できなかった理由はやはり幕府の保守派が漁民上がりのアメリカ帰りを疑ったり見下していたからである。このあたり、今でも日本があまり能力主義的ではないのと似ている。あるいは万次郎があと10年ぐらいでも遅く生まれていたら、明治維新後にもっと活躍できたかもしれない。
ともあれ昨日は久々に遍路旅とは別に楽しめた。
令和七年弥生三十日
不動庵 碧洲齋

接待所の火鉢

間違えてしまったルート

竜宮神社

竜宮神社から見た、私が間違って行ってしまった崖のルート

ジョン万次郎復元生家

大河ドラマ誘致活動

土佐清水市に面する湾