不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

甘楽町 小幡桜祭り

昨日は群馬県甘楽郡甘楽町時代祭に行ってきました。 今回お誘いしたのはギリシャ人2人。 天気は曇天でいささか危ぶまれましたが、ともあれ二人を柏で拾い、一路甘楽町を目指しました。 実は朝から頭に鈍痛があり、よほど行くのをやめようとしましたがレンタカーは借りてしまったし、楽しみにしていた外国人同門もいたので決行と相成りました。 運良く同門二人とも胴着を持参していたので今回は2領とも友人に着させることにしました。 たまにはいいでしょう。 甘楽町の桜は丁度満開。小雨でも散らない程度とあって、大変タイミングが良かった。 今年は自前甲冑は特に事前の受付無し。 いつもは外で着替えますが今回は天気も悪く二人もいるので面倒でしたが体育館まで甲冑を運びました。去年1年、旅行用のスーツケースを使ってますが本当に便利です。鎧櫃は飾りですね。ともあれ自分が着ないので楽なのなんのって。その代わり二人に着させるので大変でした。 天気が悪かったからなのか何なのか、知っている人が大変少なかった。参加者自体も少なかったようです。 着替えてすぐに楽山園に行きましたが、あそこはいつ見ても素晴らしい景色。今度は祭りと関係ない時期に来たいです。
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同門二人は大変喜んでいました。甲冑を着て桜を見るのですから格別でしょう。 ギリシャ人と言うことなので冗談で「ギリシャ・スパルタ王、レオニダス、侍バージョン」と行ったらウケてました。 甲冑を着ないで歩くのもなかなか大変でした。撮影しながらですからいつもいいポイントを探しながらになります。町自体が小さいですし、当然道も狭い。一緒に歩くのが難しいのですが、一つ良かったのがたまたま私は陣羽織を着ていて、同門の一眼レフを持っていたので甲冑関係者と思われていたのか、あまり文句は来ませんでした。これはなかなか使えます。 何度も歩いているルートですがやはりそこそこ距離はあります。 今回は甘楽町ゆるキャラ「かんらちゃん」と地元アイドルグループ「あかぎ団」の女の子たちがいたのが目新しいかと(笑)。気温はやや低かったので露出度の高い女の子たちのコスチュームがちょっと痛々しかった。まあ若いので大丈夫なのでしょう。
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帰陣後、昼食。 基本参加者だけしか弁当は支給されないのですが、同門が甲冑を借りたのだから食べるべきだと私の分まで持って来てしまったので食べちゃいました。甘楽町の関係者の皆様ごめんなさい(笑)しかし外国人二人に甲冑を貸して着させたのでお許しください。それにしてもここの昼食弁当の鶏飯はなかなか高級品です。普通に出される仕出し弁当などよりずっと高そうです。 凱旋式の式典はごくごく一部の人だけでやることになりましたが、これはいいアイデア。確かに全員が出る必要はないように思います。
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とはいえやはり付き人になって写真を撮ると割に自由な時間がなく、思ったよりはゆっくりできませんでした。 解散後はまた楽山園を通って写真を撮り、体育館で着替えさせて終了。 驚くことにパレードが終わり、関係各位の挨拶になる頃は少し晴れたこと。それ以外も休憩時間は雨が降ったのにパレード中はほとんど降らないか、ごく僅かにぱらぱらしただけ。恐るべし。 帰路は北関東自動車道経由で東北自動車道を通って羽生サービスエリアに立ち寄り、柏まで。大変喜んでくれました。 柏で降ろしてからが大変でした。悪名高き流山線、流山から草加までのたったの10キロを1時間以上もかかりました。死んだ(笑)。 そしてその後、レンタカーの返却時間まで時間があるとかでホームセンターに連れて行かされました。(もっと死んだ)その代わり、昨日と今日、連続して妻が皿洗いをしてくれるという、数年に一度あるかないかのサービスをしてくれたのでよしとします。風呂に入ってからテレビでやっていた「テルマエロマエ」見たかったのですが、9時半前には寝てしまいました。 道中、同門がギリシャ人ということで、ギリシャにもこういった時代祭はないのかと尋ねましたが、残念ながらギリシャにはローカルでこういった昔の時代を引き合いにした祭りはほとんどないそうです。個人的にはスパルタ王国などを題材にしたら絶対におもしろいと思うのですが、ギリシャ人自身は別段その時代がいいとは思っていないとか。というよりは今のギリシャの壊滅的な経済状況のためにそれどころでもなさそうですが、そもそも歴史上の伝統や習慣、故事等を大事にしていたら、それを記念するような祭りがあってもいいはず。そういうのがないと言うことはギリシャの歴史もはるか遠く、時間に埋没してしまっていると言えるかもしれません。 彼らは日本人が古い時代のことを大事にして、今なお継承しているというその事実に大変驚いています。世界最先端のテクノロジーを駆使しつつ、遥か昔のことも大事にしているというその心持ちが大変素晴らしいと感心していました。 一つの地域で一つの伝統芸能を着実に継承していく、このようにローカライズされた事柄の総意が祖国愛であると思います。祖国愛、愛国心、何でもいいですが、昨今見苦しいほどに叫んでいる「日本は凄い」「日本は世界に誇れる」というのは多分、粛々と継承して研鑽している匠や達人たちからすれば別の次元か別の人種の戯言にしか思えません。今自分たちがしていることは間違いなく日本を高めることではありますが、自画自賛式の祖国礼賛の言葉は空しいだけで個々の伝統芸能を輝かせるものではありません。幾つかの他国で見られるような「ナンバーワン」「どこよりも上」式のものの見方を日本は必要としません。 私はこのように多くの外国人に色々な体験をさせ、それを補完する意味で日本の歴史や伝統文化について説明しますが、ほぼ間違いなく感服してくれます。どこより凄い必要もなく、世界最高である必要もない。そういうものの見方は愚かで馬鹿げている。実体験を通じて日本の素晴らしいところは体験者たちが自分で顧みればよいだけで、我々日本人が念を押すべきものではない。どうも最近はこれが分からぬ人があまりに多く、ウンザリさせられる。本当の日本人はもっと高貴でありたい。 ギリシャ人同門とは色々他にも国際的なことや文化歴史について話しましたが、ギリシャの歴史に比べたら半分の日本が、今なお伝統も継承しかつ世界最高峰の科学技術を有する希有な国家であることについて、なかなか面白い意見を交換しました。大変有意義でした。 平成二十七年卯月六日 不動庵 碧洲齋