不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

障子紙一枚の暖

今朝は坐禅初めの日でした。

早暁坐禅会があるときは朝4時に起床、4時半に出立、5時から随意坐、6時から2炷、8時頃まで提唱と、変わらず行われていますが、一年を通して1月2月が一番寒さが厳しい時期です。坐禅堂には冷暖房はありませんので夏は暑く(昨今夏はかなりの早朝でもすでに暑い事が多い)冬は寒い。-3℃ぐらいになったことも何度かあります。そこまででなくてもこの時期は普通に零度以下になります。もちろんある程度は服を着ますが、ずっと動かないわけですから普通に寒い。しかしながら丹田に気を集中させ、無念無想になると「私」が「寒い」という、相対的なものから「寒さそのもの」に変化していきます。そこに「私」がいなくなる、そんな感じがします。

その中で改めて見直すのが「障子紙一枚を隔てる」違い。たかが紙一枚ですが、たとえ暖房がなくとも紙一枚を隔てた内と外では暖かさが断然違います。朝5時に寺に着き(私はバイクで行きます)、坐禅堂に入ると確かに暖かく感じ、たかだか障子紙一枚の暖程度のありがたみが身に染みます。

その昔、中国最初の王朝である夏王朝最後の王、桀王は典型的な暴君だったと言われています。しかしその桀王も以前は大変慎み深く慈悲深かったのですが、あるとき外国から漆塗りの美しい食器が贈られました。家臣たちは眉をひそめましたが・・・桀王は有り難く受け取りました。そしてせっかく素晴らしい器を贈ってきたのだからなにか美味な料理を盛らねば失礼に当たるだろうとなり、わざわざ山海珍味を国中から取り寄せ盛り付けました。そうすると今度はうまいものがあるのだから酒がなければうまいものもうまくなかろうとなり、これまた国中から良い酒が取り寄せられました。更にそういうものが揃っているのだから何か見せ物がなければつまらないだろうと食事時には美女たちの舞を舞わせました。元々質素倹約を宗としていた桀王でしたが、このようにどんどん道を踏み外していきました。

実際のところ、どこまでにすべきだという線引きは人によって、或いは時期によってかなり異なると思います。故に正解などありません。しかし線引きの正解はありませんが線引きは確かにあります。そこが悩ましいところであり、人が人として苦悩するところではないでしょうか。ただその命題を突き詰めて考え続けている人はその線引きを踏み外すことは少ないような気がします。

 

令和四年睦月九日

不動庵 碧洲齋

f:id:fudoan_hekiganroku:20220109101551j:plain