不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

薄氷上の命

昨日、久々に都内に出ました。前回都内に出たのは5月でしたから4ヶ月ぶりです。会社はバイクで10分未満なので公共交通機関は日頃使うことがありません。人混みなどもほぼ関わりません。あれは精神衛生上良くないですね。

 

人と待ち合わせている間、カフェで小一時間、ずっと外の道行く人たちを眺めていました。都内に出て時間があると人が歩いているのをよく観察します。
昨今気になって仕方ないのが「ながら」。ながら歩き、ながら(自転車/バイク/自動車)運転。
「ながら」というのは言うまでもなく「スマホ操作をし」ながら、です。操作というのは液晶画面を注視しているという意味だけではなく、スマホで音楽を聴いていることも含みます。


私は多少なりとも武芸をしているので身体能力は悪くないはずですが、歩きスマホも怖くてできません。必ず立ち止まります。しかし周囲を見渡すと音楽を聴きながらスマホ画面を見ながら歩いているだけではなく、自転車にまで乗っているという、ちょっと信じがたい芸当をやってのけている人が多いのに驚かされます。

 

潜水艦などは実際、潜航中は視界が全くありません。しかし入念に調べられた海流図、海底図を元に高性能なパッシブソナーを用いてやっと航行できます。しかし街中には潜水艦がしているような芸当をあちこちで見かけます。私は会社までバイクで10分足らずですが、その間に毎日、車のながら運転を見かけます。1台とか2台とか言う数ではなく、3割以上のドライバーがスマホを手に運転しているように思います。観察しているとやはり多くのドライバーは反応が遅かったり注意が散漫になっているのがはっきりと分かります。故にながら運転での事故は昨今かなり多くなってきていると想像します。

これは多分、海外でも同じようなことが起こっていると考えられますし、実際私が訪れた国でもそれらの行為は認められますが、残念ながら日本人のそれは比率がもっと多いように感じます。ちなみに感心したのはニュージーランド、理由は分かりませんがながら歩き、運転をしている人はほとんどいませんでした。ニュージーランドは健康的な人が多いですね。

 

日本では何故、ながら運転の割合が多いのか考えてみました。それは日本がより安全な国だからです。あるいは日本人は常に相手に迷惑を掛けないことを前提に行動する慣習があるので、ながら歩き/運転をしていても周囲の寛容さ、思い遣りが事故を防いでいると言えます。こういった物理的な事故のみならず、対人関係のトラブル回避などもやはり日本ならではです。いつだったか、英国の大手保険会社だったか、調査会社だったかが保険会社のトラブル処理のデータを開示して「何でもかんでも事故があるたびに弁護士を呼んで訴訟を起こしていたら保険会社が立ちゆかなくなる、もう少し日本を見習え」というような記事を読んだことがあります。

 

つまり日本はそのくらい、社会全体で未然に物理的事故や対人関係のトラブルを防ぐ能力が高いと言えます。日本流に言えば「ギスギス」する事が少ない。ま、その代わり欧米では基督教に代表される「相手を許す」という考えの元に喧々囂々の議論や闘争が行われるわけですが。しかし例えばセキュリティー一つ取っても、社会が安全なら店の前にガードマンを置いたり、セキュリティー設備を設置して多額の費用を掛ける必要がないわけで、日本はその点突出して社会の安全防犯に関する費用が低いとされています。

逆を言えばその日本人感覚で海外に行ったらトラブルや事故に巻き込まれる確率が俄然高いという事です。実際、バブル期に米国に留学していたころ、日本人観光客の無防備さは開いた口が塞がらないほどでした。多分、実際にニュースになった以上に犯罪被害を受けた人は多かったと思います。

 

ながら歩き、ながら運転というのはいわば、人に優しい日本社会の上に辛うじて成り立っています。本来であればすべきでない類の行為です。そしてそれは生命の危険に直結します。「その行為」が生命の危機を招く可能性があるという事に気付かないというのはもはや生物として生命維持本能を欠損しています。生命体として不良品です。昨今大幅に進歩してきた自動車の安全装備なども、日本人の衰えている生命維持本能を更に衰えさせているとも言えます(いえ安全装備そのものは大変素晴らしいとは思ってますが)。過剰すぎる安全対策、安全装備、安全手順は残酷なことを言えば「本来自然界では生存できない個体が社会に負担を掛けて生存できる」状態を作ります。こう格と例えば障害者を差別すると言われてしまいますので、私が言いたいのはそのさじ加減です。障害を持つ人、高齢者には可能な限り社会はサポートすべきですが、ながら歩きやながら運転など、本来しなくてもよい、無意味に生命の危険を曝すような行為を許容する社会は無駄に寛容すぎ、それは社会にいらぬ負担を掛けています。

 

あまりにも高度に文明化された人間は、一度原始の頃に想いを馳せて今ひとつ生命を維持するための本能を想起して欲しいところです。個人的には引いてはそれが大和民族を強く維持していく方法だと思います。

 

令和参年長月二十四日
武神館 不動庵道場
不動庵 碧洲齋

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本日運転免許証の更新に行った際にもらったテキストの1ページ。ながら運転に対する罰則が強化されてます