不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

危機回避能力の低下

最近思うことがあります。

多分、ちょっと武道をかじっている人なら思っていることかも知れません。

人間の身体能力の低下です。

簡単に言うと、自分の周囲のちょっとした危険を回避できないという意味です。

後ろから自転車が近づいてきているのに分からない。

人が正面から歩いてきているのに避けられない。

今していることが重大な事故に繋がることが理解できない。

そもそも、もしかしたら自分という個体の存続に注意を払わない。

私たちは今、不況のさなかと言えども、世界でも有数に進化した社会に住んでいます。そしてそれはかれこれ半世紀近くが経っています。

危険という点でも、日本よりも安全な国は五指に足りません。

それを考えると、常に危険意識を持てと言うのがムリなのかも知れませんが、例えば日本人が子供を産まなくなってきたというのもキケンが少なくなってきたからでしょう。

少子化はほぼ全ての先進国が当てはまりますが、日本はその中でも格段に高いと言えます。

おしなべて全ての生物は危険を回避するために、自分の特性を最大限に活用し、子孫を残すものですが、その危険が減れば当然、特性は生かせないわ子孫を残す気も起きてこないわで、その種族は当然滅びやすいのでしょう。

身体能力で毎年、オリンピックなどで人間の身体能力の新記録が良く出ます。

しかし例えばアメリカはもはや養豚場と見間違えるほど、メタボランドと化しています。

先進国の市民の身体能力は多分、平均的には横ばいか落ちてきているように思います。

つまり一部の人間の一部の能力だけが異常に突出しているだけで、人類全体の能力が上がっているわけではありません。特に先進国の市民の能力は落ちていると思わざるを得ません。

例えば、格闘技家はリングの上でさえ強ければ、基本的にそれ以外のところで力道山のように背後から刃物でざくりとやられても「ああそんなものか」で済みますが、武芸者たる者は、リングの上で勝つか負けるかはともあれ、24時間365日、力道山のようなことがあってはなりません。今の日本人に欠けているのは後者の意味での能力です。

豊かになると心を働かせるのがおっくうになるのでしょうか、よく分かりません。

しかし精神的にしぼんで行っているのは間違いなさそうです。

戦争とか大災害が起こればまた変わるのでしょうが、人間の叡智はそういうものに頼らずして進化していきたいところですね。

平成二十四年皐月三十日

不動庵 碧洲齋