不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

米国の銃社会について

留学中、何度か本物の銃を手にしたことがありました。

実際に撃ったことがある経験は豪州で、ショットガンでした。

メルボルン郊外の牧場で野ウサギを撃ちました。

牧場の牧草を食べ尽くしてしまう野ウサギを、牧場がわざわざ広告を出してハンターたちに狩ってもらうのです。

放置すると牛が食べる草がなくなってしまうと言うことです。

初めてだったので、最初は空き缶を撃って慣れましたが、かなりいい腕だと言われました。そういう言うことですぐに野ウサギ狩に。

何度かしくじりましたが、とうとう1羽を撃ち殺しました。

正直言ってしばらく悪夢にうなされそうな後味の悪い経験でした。

野ウサギが害を為している事実は理解します。

例えば今、日本でも鹿を放置しすぎてしかもハンターのなり手が少なかったがために、増えすぎてしまったことは良く知られています。

だからある程度、動物は人間に狩られるのも自然淘汰の一つだと言うことも理解しています。

何でもかんでも殺してはいけないというのは、自然の摂理を理解していない人です。

もちろん、人間の生活領域が広がりすぎているという問題もありますが、殺すことなく共生するというのは今も昔もありません。程度の問題です。

実はお釈迦様も条件付で肉食はされていたと言います。

自分で殺さず、自分のために殺されず、在家から供された肉料理はちゃんと食べたとか。

個人的にはこっちの方が現実的だと思います。

肉だけというのが不健康なら野菜だけというのもやはりバランスに欠けると思っています。

知り合いにも何人かベジタリアンはいますが、その人のおかげでみんなで行きたいレストランなどに行けなかったり、行ってもそれがためにスタッフに余計な負担がかかるなら、ベジタリアンというのも害悪ではないかとすら思うことがあります。

この子供向けの銃というのも何度か見て触ったことがあります。非常に軽く小さかったのでオモチャかと思いましたが、最小口径のれっきとしたライフル銃(もしくは拳銃)だったので非常に驚いた記憶があります。その頃はそんなに一般的ではなかったように思いますが。

銃社会ならではの、子供の頃からのしつけという意味では確かに論理的ではありますが、現実にはおぞましい事故が頻発しています。銃社会ではない、ある程度平和な国であれば引いてしまうような痛ましい事故として映ります。

米国の銃社会というの否定しようがしまいが江戸中期からずっとあり続けている事実です。そして彼らが決めたことですから、日本人がとやかく言えた義理ではありません。

日本は侍が自主的に武装解除に成功した社会です。火器類も戦国時代には全ヨーロッパの保有する火器よりも多いほどでしたが、自主的に削減に成功しました。江戸時代から庶民はかなり厳しいガンコントロールが敷かれていました。そしてそれは今に至るまで世界的にもかなり成功しています。・・・これは日本人は自覚しているのかな?

とりあえず、彼らの習慣にケチを付けても仕方ないので、例えば江戸時代の侍が実際にしていた刀の作法とか習慣を紹介して、彼らの肥大化する火器保有について一石を投じてみたいと思っています。

米国人の同門で、非常にイカす美女でしかもオリンピックライフル競技の候補選手がいるんだよなぁ。彼女には面と向かって銃規制賛成とはなかなか言えない(笑)。

平成二十五年師走五日

不動庵 碧洲齋