不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

平和と安全について

基本、いつも言っているようにあまり政治臭いことを書くのは好きではありませんが、色々あってまた書きます。

ここに書いたことはずっと昔にブログに書いたことですが、そのブログがどうしても見つからないので改めて書くことにします。

世界中の国々が主権を代表している組織同士(言い方がややこしくてスミマセン、普通の国であれば政府です)が武器を向け合わずして世界秩序の維持のために協力し合っている状態、単独複数を問わず国家間での戦争、対戦状態、停戦状態、などがない状態はまず平和の第一歩の状態だと言えます。地球市民がそこそこ平和を感じてきたら更によい、と言ったところでしょうか。そして「平和を乱す者」は例えばその国家や地域の住民の過半数以上の支持を得ていない組織を指します。過激派やゲリラ、反政府勢力などでしょうか。

現実的に平和が実現したとすればこんな状態を言います。

安全というのは単独の国家、もしくは地域において武器は向け合っても戦火の火ぶたが切られていない状態を指します。まずは地域市民の財産が不法に破壊されたり奪われていない状態はまずは安全だと言えます。この場合、安全な地域以外で戦争があっても関係がありません。

個人的には安全な国が増えるほどに平和に近づくと考えています。そして世界の全部の国が安全になった場合にのみ「平和」だと称することができると考えています。

どうも日本の一般市民のコメントを見ていると、「平和」と「安全」をごちゃ混ぜにして考えている人が多いように感じます。

「平和」を構築するが如く「安全」を謳う人はちょっと間抜けと言わざるを得ません。逆に「安全」を構築するが如く「平和」を唱える人は浅慮すぎると感じます。しかしこのような勘違いをしたコメントがネット上でよく目に付くのは気のせいでしょうか。

私の知り合いにも何人かいるのですが、人や組織を見たら「右」か「左」かで差し計ったり、「親日」か「反日」かで判断したがる人がいます。個人的には閉口するレベルで自分の美学とは全く相容れない、優雅さに欠ける行為ですが、これが必ずしも全ての場面で否定されるべきではありません。粗雑で曖昧、浅慮の誹りをぬぐえませんが、上記で言えば「国家安全保障」の点から言えば、右か左か、親日反日かという判断は一つの基準にはなっています。もっとも右左の判断や親日反日という判断基準も傍から見ているとかなり怪しいことが多いですが。(中には一昔前の国家主義者か、とツッコみたくなるようなノスタルジックな主張もあって、逆に笑えますが)

日本人なので日本を例に挙げてみます。

日本の「安全」を維持するのは政府の仕事、日本を含む世界平和を祈り、それに付随する行動を起こすのは「天皇家」の仕事、だと理解しています。日本の場合は割にスパッと分かれているので互いにごちゃ混ぜにならないと思っています。

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そこで「国家安全」のために天皇家を持ち出したりする輩を多く見かけますが、言語道断。そういう連中には怒りを覚えます。これは先の大戦で至尊の身を担ぎ出して戦争の大義を掲げようとする輩と同類。先の戦争は日本の安全保障を維持するためが第一の意義であり、それ以外の理由は後付けです。後付けだから悪いという意味ではありません。主要目的ではないという程度の意味です。この辺り、現代日本人ですり替えている人をよく見かけますが、そういう理想主義者は国際社会では通用しないと言っていいでしょう。逆に「世界平和」の為に「政府」が持ち上げられることも過重任務ですが、これはまあ理想に近づけるという意味で仕方ないのかも知れませんが。何度も言いますが、先の大戦は日本の国家安全保障を維持するための戦争であって、周辺諸国を植民地から解放云々というのは、結果それを促す事であっても、実際は違います。そもそも戦前の日本にはそんな力はありません。アジアでは唯一の工業国で、部分的には欧米に優れたところはあっても、今の日本とは全く違うのです。戦艦大和を作ったとか零戦を作ったとか言っても、欧米との総合的な工業力や民主主義の熟成度は今の日本と中韓ぐらいの差があったと考えて差し支えないと思います。

天皇家の名を持ち出していい場合は、文字通り世界平和の祈念、日本人が世界に願うことの象徴としてだけです。天皇陛下は毎日、皇居の参拝する場所に於いて祈りを捧げていることは良く知られていますが、その祈りをどのように実現するかよくよく斟酌して実行に移すのが国民の務めです。黙して実行するだけ。世界平和のなんとかと喧伝する必要はありません。それは日本人として雅量に欠ける行為です。歴代天皇や今上陛下の祈りを知りつつ、何も成さざることが日本国民として恥なら、その逆、喧しく声高に世界平和とか世界の救世主とか僭称するのもまた恥です。

私は直接陛下とお目に掛かったことはありませんが、日本国民として世界平和に何も貢献していなかったり、日本民族の優秀さを喧伝しているだけの輩だったら決して陛下はお褒めにならないと思います。幸い私はインターネットを通じて日本文化や日本人の精神を武芸や禅仏教を通じて英語などでよく紹介し、実際に外国人と会っては交流を深めていて、そういった行為は間違いなく平和という目標に繋がっていると信じ、歴代天皇や陛下の志す道に則っていると僭越かも知れませんが信じています。

繰り返しますが、人を「右」か「左」で判断したり、「親日」か「反日」かで判断する行為は国家の安全という視点以下ではあっても(以下だと思います)それ以上ではありません。そういうものの見方は世界平和への道とは全く関係がありません。世界平和という事業はそういうチャチなことではないのです。

先日、知り合いが、折を見てライフル銃の免許を取得したいようなことを言っていました。

彼は日中間で戦争が起った折は、在日、駐日中国人たち約100万が一斉蜂起して日本の平和を乱すのだとか言うことを本気で信じているようで、そうなったら民兵としてなのか、そういうことに備えたいようでした。

私は知人友人に中国人が幾人かいますが、中国共産党政府から密命を帯びていたり、愛国主義者という人は知りません。彼らはお金が儲かる方へ、より安全な方へ、より住みやすい方へ移動します。中国人で10人知っている人がいたら1人ぐらい怪しげな人がいてもいいはずですが、いませんね。日本がヤバそうなときに敢えて祖国に弓を引きそうな人はいますが、その逆、祖国が起こした戦争に荷担しようと考えそうなおめでたい人は見当たりません。この辺り、どう説明してよいのやら。そもそも蜂起するほど祖国を愛していたら日本には来ないでしょうに。

中国歴代王朝夏から数えてはざっくり30近くありますが、中国史好きの私の見解では他国に移住している中国人で、祖国に戦争が起った折に連動して反乱を起こすという話しは聞いたことがない。中国のみならず他の国でも希です。

歴史を知らず、中国人の民心を知らず、愛国の念に燃えていたらこういうとんちんかんなことも素晴らしい行為に見えるのでしょうが、それは傍から見て失笑を買うような行為であるばかりか、実際に反乱が起きても民間人が鉄砲を持っていたところで役に立ちません。警察や軍隊が対応した方がよほど便利。日本には民兵の歴史がないし、自衛組織というのも経験が浅い。ここはスイスやポーランドではないのです。ましてや銃の規制が緩い米国でもない。

防犯程度なら町内会で十分、しかし国家間の戦争に付随する大規模な暴動では国家組織に任せた方がよほど良い。いずれにしても民間人の出番はほとんどないと言ってよいです。逆に民間人まで駆り出させるような事態になったら、その時は日本の終わりに近いときです。民兵を1万人2万人取りそろえたとしても多分大勢に影響は全く与えません。

現代の軍艦には大戦時のように重装甲を施している艦がほとんどありません。

砲弾やミサイルが命中しても耐えうる艦殻を持つこと自体、あまり意味がないと考えられているからです。確かに重装甲では軽快な運動ができませんし、燃料の無駄遣いです。

その代わり、砲弾やミサイルが決して着弾しないようなシステムを構築しているのです。

国家の安全も同じです。少なくとも周囲が海に囲まれている日本では敵の軍が上陸してきたら、とか、在日中国人たちが反乱を起こしたらとかいうのはもう手の打ちようがないレベルです。そしてそういうどん底の可能性のために短い人生を擲つのはごく一部の国家公務員だけで結構です。実際に、訓練された組織でしか対処できませんから。

では国民にできることは何か?

簡単です。できるだけ多くの国の人たちとできるだけ多く語り合って交流を持つこと。圧倒的に高い民度を以て他国を思い知らせてやること。損害を受けた場合の世界的な損失を思い知らせてやること。もちろん失礼にならない程度に経済的損失の巨大さを知らせてやることなど。

特に日本の場合は日本製品を見たことも聞いたこともない人は世界で少ないですから、日本の有り様をそのまま紹介するだけでも十分にインパクトがある。

世界には195カ国があると言われていますが、ハッキリと反日を示している国はたったの3つ。しかもそれは日本の経済資本の掌の上に載っているような国、国交のない国、最近大きくなってきた国です。多分、アメリカよりは全然桁違いに少ないと思います。

せっかく少ないアンチ日本で経済的には掌で踊っているなら日本についてもっと知らしめてやりさえすればよいのです。

そしてそれ以前に日本人の持つ平和への心を知らしめるべきです。ある意味国際社会に甘い幻想を抱く日本人ですが、それだけに世界平和をある意味真面目に信じているおめでたい民族です(これは褒め言葉です)。故にこれだけ経済力がある国の国民が平和を訴求すればどれだけ大きな力になることか。実は私はこれを強く信じています。笑われるかも知れませんけど。

ライフル銃の免許をそんな馬鹿げた理由でお金と時間をかけて取ろうとするなら、私だったら中国語を勉強して習得します。反乱が起っても、中国が崩壊しても、何もなくても自分のキャリアアップに繋がるからです(笑)。中国側に何をか言うための道具を作り、それを活用すれば、それこそ毎日世界平和の為に祈りを捧げている天皇陛下の御心にも適います。平和の為に何をかすると言うことはこういう事だと私は思っています。決してアンチ組織を誹ることではない。

いつだったか、ネット上でこんな文言を見かけました。

大和民族天皇陛下を中心に陛下が御祈りされている世界平和を実現する事を使命にこの日本に生まれてきました。ここに己の全てを集中しよう。我々はこの世界を救う救世主なのです。大和魂を集約して参りましょうぞ。」

こんなスローガンは時代錯誤の上に文字と時間の無駄です。幼すぎる。

そんな戯言をフェイスブックなどで多国語で同じ事を書いてアップしてみれば分かること。日本好きの台湾人からすらも支持は得られません。

私たち日本人が世界の平和の為に何かできるとすればそれは日々の生活をキッチリとこなして世界中に驚嘆すべき日本製品をなるべく多く送り出すこと。ネット上では脱帽すべき平和の論拠を世界に分かる言語で挙げ、これまた世界中から日本人の在り方に対して敬意を勝ち取る。その上で日本人としての歴史と伝統をなるべく守る。これだけです。

日本が戦争の危機に陥ったり、存亡の危機に陥ったときは然るべき組織に任せ、逆にそれ以外の場合は国民がそうならないように全力で世界に自分が持てる方法で訴えましょう。これが日本人としての美学を守り、雅量を損ねず、品格を誇ったまま邁進し、かつ世界平和に貢献できる内容だと思います。

平成二十七年睦月二十六日

不動庵 碧洲齋