大樹
妻の父方の祖父は去年、100歳で他界しました。
親族で100歳というのは初めてでしたが、やはり改めて凄いと思ったものです。
その配偶者、妻の祖母は98歳になります。おじいさんが亡くなってからは老人介護施設に入所していますが、それまでは二人で生活していたというのですから驚かされます。
大変元気な方で私も結婚するときに挨拶に行きました。
妻の実家に行った翌日、みんなでおばあさんのお見舞いに行きました。
さすがに今は昔ほどの元気もなく、寝たきりの状態でしたが。
私の両親は既に他界しているので老人介護というリアルがなかなかに分かりにくく、ある意味、老人介護を目の当たりにするというのは衝撃的です。ただ昨日は大変元気な様子で、溶いたぜんざいなどをよく食べていて嬉しく思いました。
滞在は30分ほどでしたが、その間、私はずっとおばあさんの目を見ていました。
痴呆になっているわけではなく、現実と夢が混じっているようなそんな感じというのか。
1人ひとりに声をかけてくれましたが、結婚したときに一度しか会っていない私の父について「あなたのお父さんは何で亡くなりましたかね?」と訪ねるほど記憶は明瞭で驚きました。
その目が何と言うかとても深いように感じました。
100年近く生きてきた目は一体何を見ていたのか、ずっと考えていました。
前日に息子と新幹線の中で話したことを思い出しました。
いのちの在り方。自らの使命。死の意義。
彼女の目から見て、ひ孫はどんな風に見えるのか。さぞや壮大ないのちのつながりが見えているのだと思います。
担当していた介護士さんは13.4年ぐらいやっているそうです。
その献身的な姿には本当に頭が下がり、両手を合わせたくなりました。
今後日本社会ではこういう方がもっと必要とされますが、素晴らしい心を持った方が多くあればいいと思わずにはいられません。
去り際に1人ひとり手を握ってくれましたが、その握った強い力に思わず泣きそうになりました(今だから言いますが)。もう老いで間もなく寿命を迎えるというのに、その握った力は本当に強かった。帰路はそのことばかり考えていました。もう一度、機会があれば話をしたいところです。
帰路は去年100歳で他界したおじいさんの墓所に行きました。
日本とタイの友好を記念して建立された日泰寺の霊園です。日泰寺の本尊はタイの国宝の仏像で、戦前日本に贈られたものだそうです。仏舎利塔もあります。
墓所は仏舎利塔横の立体型霊園でしたが、私は立体型霊園に入ったのは初めてです。
墓所で読経させていただきました。般若心経を唱えたのですが、窓などはない吹き抜けのようではあっても屋内なので声が結構響いたのは驚きでした。シロウトに毛が生えたような読経が荘厳に聞こえたので唱える方も真剣そのもの。また、100歳の人に読経をするなど滅多にない機会です。懇ろに唱えさせていただきました。
この立体霊園の建物はかなり巨大ですが、平地にしたら結構な広さになるように思います。
墓地を後にしてすぐ近くの仏舎利塔に立ち寄りました。
あいにく近くまでは行けず、結構遠くから見られるだけです。仏舎利なるものはアジア圏に結構ありますが、一体どれ程本物の骨があるのやら。そもそもがお釈迦様は死んだら骸は打ち棄てよと言ったにも関わらず、弟子たちはそれに従わなかった。息子に仏舎利塔の話をしましたが、息子曰く「骨なんて全然意味ないよ。お釈迦様の教えの方が大切なのに」という感想でした。
その後、妻の両親と別れて日泰寺の本堂に参りましたがこれまた荘厳なものでした。巨大な山門には仁王像ではなく十大弟子の阿難陀尊者が左、摩訶迦葉尊者が右に立っていました。中に入ると右手に五重塔。
本堂は浅草寺ぐらいの大きさはあるでしょうか。中に入ると丁度、どなたか個人の法要が行われていました。
本尊は確かに東南アジア風の仏像でした。また、タイ語でタイ国王陛下の勅命が額に掲げられていました。日泰友好の深さというのか、そういうものが感じられました。
息子はいのちが一個体ではなく、太古から連綿として大河のように流れている流れそのものであることを概念的によく理解しています。だから誰かと結婚して子を成し、そのいのちを後世に伝えることは一つの生命体として当然であり義務であることは強く認識しているようです。そのたくさんの流れが俯瞰できると仏の本来の姿が見えると考えているようです。私が息子ぐらいの歳だったときは第2次世界大戦の兵器に凝っていた少年でした。神や仏、命についてなど考えたこともありませんでした。何か尊く荘厳なものが世には在り、世界そのものを為しているという考えを理解できる息子には、もっと広く深く世を観て、生きて欲しいと願うばかりです。
平成二十九年臘月十八日
不動庵 碧洲齋