不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

延命観音

昨夜は息子よりも少しだけ早めに風呂に入っていました。

湯量が少なかったので、蛇口をひねり、湯船にお湯を足しました。

私がじっとお湯が勢いよく湯船に流れ込む様を見つめていると、ちょうど息子がやって来るなり、突然、息子が言いました。

「今、パパが考えていることを当ててみようか?」

「え?」

「いのちの長さ、命が生まれることと命の長さについて考えていたんでしょ?」

カンペキに合っていたので思わず絶句状態で息子を見上げました。

「え?・・・なんで分かった?」

ドキドキしながら問い返すと、

「だって水の泡をじっと見ていたから。」

とこともなげに息子は言いました。

息子が言っていることは臘八示衆の第五夜に書かれている菴原の山梨平四郎が滝のそばで不動明王の石仏を彫っていたところ、滝に流れ落ちる水から発する水泡が川面を漂い、すぐ消える様を見て人の無常を知り、一大決心をして不眠不休でたったの3日で開悟したという、在家には有難いお話です(笑)。私は毎年、妻の実家に帰省するときに東名自動車道を通るのですが、平四郎が籠に乗って超えたという薩埵峠の下に作られた薩埵トンネルを通る度にこの話を息子にします。だから良く覚えていたのでしょう。

確かに水泡を見ると、無意識にこの逸話を思い返します。

そこで考えていたことを息子に話しました。

「昨日、俺が友達とお参りに行ったお寺の本尊は観音様なんだけど、正式には延命観音菩薩というらしいんだ。延命、つまり命を延ばしてくれる観音様ってことだな。」

「ふうん」

「その観音様について考えていた。」

「どんな風に考えてたの?」

「お参りに来た人がその命を延ばしてくれる観音様にお祈りをする。観音様はその人の命を延ばしてくれる。そんな単純なことなのかな?」

「・・・」

「どうして観音様は命を延ばしてくれるのかな?」

息子は驚くことを言いました。

「たぶん、この観音様が延ばしてくれる『いのち』って『誰かひとりのいのち』じゃないんだよ。ジイジからパパ、パパから俺、俺から自分の子供にずっと続いている『いのち』を延ばしてくれるっていう意味の観音様だと思う。」

私も息子と全く同じ事を考えていましたが、そういうことをサラリと言う息子が尊く見えました。

「そうだな、俺もそう思う。自分のためだけに自分の命を延ばしてくれるような観音様はいないよな。みんな誰かのために何かをしようとする人だけに、観音様は命を延ばしてくれるんだよな。」

俺のために俺の命を延ばしてくれるような都合の良い観音様はいません。誰かが誰かのために尽し潰す、そういう人のための「延命観音」ではないかと思います。師がよく言うことですが、「自分がいる」などいう錯覚は車の排気ガスのようなもの、有害であれこそすれ、全く有用ではありません。そこに自分がいない人だけの命を、観音様は延ばしてくれるのだと思います。

最近、特に涙もろくなります。息子から揶揄するように「また泣いてる~」と言われましたが、本当に昨日は息子の中の仏が輝いていたのを感じました。

平成二十六年如月二十六日

不動庵 碧洲齋