不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

豚は死ね 狼は生きろ!

その昔、映画のキャッチでこんなのがありました。

豚は食べられるけど、狼は喰えないからなぁ(笑)。

それはともかくこういう端的なキャッチは好きです。

先日、28歳のシングルマザーと3歳の幼児がアパートで餓死した事件がありました。

メモには「子どもに、もっと良い物を食べさせてあげたかった」とあったそうです。

本当に哀れでなりませんが、一方で日本人の生命力が落ちてきているのではないかと危惧しています。

簡単に自殺したり、あっけなく餓死したり。日本人の古来からの諦観なのか価値観なのか分かりません。そんな気もしますし、違う気もします。個人的には全く敬意を持てませんが、例えば最寄りの隣国のように今少しガリガリ、ゴリゴリの生存欲、勝負に飢え、どこかに食ってかかり挑むような生命力を持ちたいもの。あそこまで国家として恥ずかしいほどに持つ必要はないかも知れませんが、ちょっとしたスパイスとして持つことは、民族を維持向上する上で必要だと思います。昔の日本にもありました。

餓死したお母さん、本当に仕事がなかったんですか?ちょっとしたパートでもアルバイトでもするつもりはなかったんでしょうか。多少の誤解を恐れずに言えば、子供の生活を守るためにはそれこそ風俗に身を堕としても、生きるべきではなかったですか?

夫からDVを受けていたとのことです。それは可哀想です。自分一人なら世の中を儚んで自殺も結構。しかし子供がいたらそれはダメです。母親は戦車に囲まれても子供を安心させられるぐらいの気持ちを持とうと努力しなければならないと思います。お父さんも同じです。

いよいよ食べ物がなくなったら、親は自分の手足切り取って食べさせたり、身体をも家族に差し出すぐらいの覚悟を持てねばなりません。持っていなかったら、たった今、すぐ持ちましょう。家族と愉しみ、おもしろおかしく過ごせることはいいことですし、死ぬまで家族のために死ぬ覚悟を持つ。そうありたいと思います。お父さんはできたら祖国のため、民族のためにも死ねるぐらいの余裕も持ちましょう。

世の中はこんなの平和なのにと思っている人がいたら、世の中はそんな甘くないことを認識すべきです。明治時代になってから今年で145年。国家の存亡を賭けた大戦争が3回と、同じく国家が危機に瀕する規模の大地震が2回ありました。145年を5回で割ればたったの29年です。分かりますか?我々は産まれてから死ぬまで約80年生きるとしたら、大戦争か大災害を少なく見積もっても2回は経験する計算になります。70年間戦争はありませんでしたが、大災害は起きました。その後戦争や大災害が起きない保証はどこにもありません。大きくなければ災害や事故などは無数に起きます。覚悟のない人はその障害の間を幸運にも知らず知らずに通り抜けているだけに過ぎません。覚悟のある人はすり抜けているという事実を知っています。

私も毎朝、仏壇に手を合わせているときは、そういう覚悟を持っているかどうか、確認しています。覚悟とかそういう以前に、親は子のために普通に犠牲になるつもりでいましょう。この程度は覚悟というのもおこがましいレベルであると、私は思っています。

この親子のために私は少し祈りましたが、やはりどうしても納得がいきません。DVについては色々あって調べたことがあります。引きずる引きずらないという心の葛藤も深刻ですが・・・子供を生存させ、幸福にさせることに比べたら水素原子みたいな軽微な問題です。心の葛藤はこの大宇宙に非ず!その人の脳みその、細胞のごくごく一部でのみ起きている話にもならない微細な事に過ぎません。大宇宙は常に平安の内にあります。

心にゆとりのある人は、それが周囲の人に対してや、離れていても心が通じる人にもそう思えるようになると思います。だから心にゆとりを持つことは大切です。ゆとりがないと、当たり前すぎる生存手段すら思い付きません。それによって子を不幸にすることがあってはなりません。

あまり書くと過激になりそうなので、このくらいにしておきます。

平成二十五年皐月二十八日

不動庵 碧洲齋 やや平静を欠いています