今朝、息子の宿題とかで人権標語を作るというのがありました。
私が子供の時はそういうものはあまりなかったように思うのですが・・・。
で、わざわざ例文まで書いたフォームを配っていたので、ちょっと拝見。
・ニコニコは 友だち作りの おまじない
・あなたはね きっとだれかの 宝もの
・楽しいな みんなと会える 毎日が
・思いやり いつでもどこでも だれにでも
・親切で みんなの心 ぽっかぽか
・ありがとう 言って言われて いいきもち
小学校4年生は子供かも知れないけど、これじゃ人権の意味を間違えないか?
正直、普通に背中が寒さでゾクゾクッとしました。
辞書によると:人権は「人間が人間らしく生きるために生来持っている権利。」だそうな。
もう少し深く掘り下げると「人間が人間である以上、人間として当然もっている基本的な権利。日本国憲法は、思想・表現の自由などの自由権、生存権などの社会権、参政権、国・公共団体に対する賠償請求権などの受益権を基本的人権として保障している。基本権」となる。
例文は人権と直接関係あるのか?と疑問に感じてしまう。
だいたいこれらの例文は視野が狭すぎだ。人間をナメているのかと思ってしまう。
世界では毎日どこかで戦争や紛争が起きていて、何千人、何万人が直接間接死んでいる。
息子に「お前はこの例文はどう思う?みんな楽しくて仲が良ければ人権だと思うのか?」と聞きました。
息子なりに何となく納得がいかないらしく、「う~ん」と唸るので、アドバイスをしました。
「もっともっと広く世界を観ろ。そして起きている悲しい事を思い浮かべろ」
「やっぱり戦争をしちゃだめだよね・・・そういうことを書こうかな」
さすがは我が息子、教室の中、学校の中などと言う狭いエリアに収まらぬところが良い。
だいだい宇宙を目指す男が、例文のような世界観を持っていてはいけない。
息子と色々話す内に、息子が作った標語は
「戦争は 人とお金の むだ使い」
でした。でかしたぞ息子。息子にはそういう世界観を持ってもらいたい。
本人もいつも私と話し合っている事と合致したのか、満足そうでした。
良い子ちゃん式狭視的世界観を持って欲しくありません。
それは正真正銘、これから宇宙に行こうとしている地球人にはふさわしくないからです。
10歳の子供が、と思うかも知れません。
しかし子供の能力をナメてはいけません。大人が思っている以上に子供の能力は鋭いのです。
観察眼、記憶力、洞察力、推理力、どれも子供が持つそれを正確に知っている大人は少ないと思います。
私はそれらを最大限に持っている事を前提にいつも息子と接しています。
周囲の理解や環境がよい事もあって、今のところそういうことはなかなか素晴らしいレベルで育成しています。
人権などと言う大切な言葉は決して矮小化させてはいけないと思うのでした。
平成二十五年皐月二十六日
不動庵 碧洲齋