不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

小幡さくら祭り

昨日は群馬県甘楽町の小幡さくら祭りに同門と参加して参りました。
あいにく桜の開花が間に合わず、桜なしの祭りでした。残念。去年やコロナ禍前のここ最近の祭りでは大抵咲いていたのですが、久々の空振り。
しかしながら気温は高めで甲冑装備を終えたあとはもうすでに暑く、先が思いやられました。
同門の甲冑は今回、兜を着けずに烏帽子にして、陣羽織を羽織らせたところまずまずの衣装と相成った次第。

特筆すべきは今年の織田信雄公役。織田信雄公は織田信長の息子で晩年は徳川家康に組みしてこの小藩である小幡藩に腰を落ち着けました。ここには現在でも大変素晴らしい日本庭園がありますが、これはこの頃既に出家していた織田信雄公がデザインしたものだとされています。

今回盛り上がったのは去年「どうする家康」で織田信雄公を演じた浜野謙太さん。戦の才能はないものの上手く世を渡りきり、ドラマでは「わ・ぼ・く」を連発していました(笑) 条件にもよりますが私もガチバトルよりもできたら和睦の方がいいと思います。

パレードのルートは去年と同じで、まず北上して小幡八幡宮まで1キロ、そこで一般は休憩をして主要メンバーは御祈祷を行います。この時丁度乗馬するハマケンさんを至近で拝見しましたが、親しみやすそうな方でした。

神社から今度は南下して織田氏7代の墓所がある崇福寺まで行軍、2キロ近いのでこれが結構疲れます。この織田氏7代の墓所はコロナ渦中に整備され、それ以前はこのコースはありませんでした。墓所はきれいに整備されていて、今のところお堂に入った墓所が7基と広い広場があるだけで何もありませんが、今後は何か作るのでしょうね。ここでも休憩が入り、お茶とかりんとうまんじゅうを頂きました。このかりんとうまんじゅうはこの辺りの名産で、まんじゅう自体は見た目温泉まんじゅうですが、底の部分がカリッとしていて食感がくせになります。また疲れているので甘いものはありがたい。

そして底から会場まで、距離にすると800mぐらい。しかも墓所が少し小高い丘の上だったので底から下り、さらに道の下を流れる川沿いのため更に下り道なので楽。
今回さらに変わったのがイベント。いったん集合して自前甲冑武者はその後は自由参加で三献の儀とか寸劇とか砲術演武とかを見ることができるのだが、私は疲れていたので早々に退散。会場から車があるところまでやはり800m以上を歩きました。その途中、有名な日本庭園楽山園を通るので中で数枚撮影、しかし桜がないのでいささか興に欠けます。

時代祭り最大の快感は「甲冑を脱ぐとき」(笑)
今回初めてこのようなイベントに参加した同門曰く「甲冑を着終わるまでに戦のバカバカしさが理解できる」(笑) いや、全くです。甲冑を着込んで1日行軍したら本当に戦争なんてやりたくなくなります。戦国時代の人たちは本当に狂気の中にあったのか、狂気の中にあった領主に泣く泣く強制されていたのか・・・。

着替え場所の体育館で恒例の鶏飯弁当を受け取りました。いつもながら大変おいしく頂きました。ここ最近の時代祭りの弁当ってホントに安くなってしまいましたね。ここだけはなかなかのクオリティーです。

着替え終えて弁当を食べて帰路に就きました。

令和六年卯月朔日
不動庵 碧洲齋

昨年の大河ドラマ「どうする家康」で小幡藩の藩祖で織田信長の次男、織田信雄を好演した浜野謙太殿

楽山園に張られた陣幕前にて

 

ミハイル・ゴルバチョフ

最近色々とロシアについてふり返ってみました。
私が高校時代に「冷戦の敵側」であるソ連に興味を持ったのはもちろん、あちら側に一風変わった政治家が登場したからでした。
ミハイル・ゴルバチョフ氏です。1985年のことです。今までのソ連の政治家とは一線を画す、ひとかたならぬ人物であると、高校生時分に感じました。彼はたちまち有名になり、著書「ペレストロイカ」が出版されたときはすぐに買って読み、大変感銘を受けました。
タイトルは忘れましたが、当時のソ連大使館から無料で発行されていた雑誌も定期購読しました。
ソ連生まれとは思えない大変開明的な方で、2022年8月、ウクライナ侵攻が始まって半年後にこの世に去ったときはきっと心残りだったのではないでしょうか。
彼の偉業は西側諸国ではよく知られていますから、詳細は割愛します。

ロシアに行った折、このミハイル・ゴルバチョフ氏についてロシア人と何度も語りました。
ロシアではどのように評価されているのか、西側諸国の市民とはある意味全く価値観の異なるロシア市民の価値観に、私は大変ショックを受けたことがあります。そしてウクライナ侵攻が始まってからは更に深掘りするようになり、彼らの政治的視点、国際社会の立ち位置について、改めて思いを馳せました。

外側である西側諸国の我々市民から見ると、ゴルバチョフ氏はソ連の旧弊を打ち破って旧ソ連国民に自由を与えた開明派と見られますが、ロシア国民から見ると例えその後外の世界と自由に行き来できる自由、ある程度自由に発信できる自由がもたらされたとしても、ソ連崩壊後の地獄の混乱を10年間ももたらした怨みの方がかなり強いようです。自由主義、資本主義をほぼ知らない旧ソ連国民がその世界に放り出されたとき、もちろんその自由闊達さに歓喜した、適応力が高い人たちも多かったのは間違いありませんが、大多数は共産主義下の多少貧しくとも管理され安定した社会に2世代以上も慣れ親しんできました。そういう人からすれば学校の25mプールからいきなり太平洋の海に放り投げられた気分だったと思います。

また彼らは旧ソ連時代、西側陣営の向こうを張っていた超大国だったという自負がありました。彼らと競合しているという夢を持っていました。しかし実際鉄のカーテンが取り除かれると、彼らの方が圧倒的に豊かである事を知りました。映画「マトリックス」ではありませんが、自分たちの方が優れている、という夢を見ることができたのが旧ソ連時代とすれば、ゴルバチョフはその夢を覚まさせた悪党とも言えます。旧ソ連市民からするともともとあまり価値を置いていなかった情報の自由や行動の自由、思想の自由よりも、今住んでいる国が世界で重要な意味を為しているという自負の方が大きかったに違いありません。故に彼は市民から憎悪の対象になったように思います。特に高齢者などはそれが顕著なように思います。故に高齢者やソ連時代が長い人にはゴルバチョフ氏は自国を大混乱に陥れた大悪人であっても、自由をもたらした偉大な政治家ではないのは間違いありませんし、若い世代は多分殆ど彼については学ばないと思うのでやはり関心が低い。残念です。

10年間の混乱を経て、それを上手く利用したのがプーチンだと言われています。ソ連崩壊から10年後から10年間、傷つけられたロシア人の誇りをくすぐってロシアに一定の方向性を与えたのが彼だと考えられています。それ自体悪いことではないと思います。実際モスクワを見て、ソ連時代の想像上のモスクワよりも遥かに欧米化して自由で明るい街でした。しかしたぶん、それはうわべだけだったのかも知れません。10数年前と今でもロシアを仕切っているのはあくまで旧ソ連時代の人が大半です。ウクライナ侵略前のロシアを見て勘違いしていた人が多かったと思います(私もそうでした)。

ロシアは少なくともプーチンになってからは旧ソ連並の大国意識を国民に植え続けていました。今は懐かしのプロパガンダ政策です。何でもかなり自由になった時代にそんなものが効果あるのかと驚きますが、実際は効果てきめんでした。多分今まで厳しく統制され続けてきた国民だったからなのでしょう。国の外に情報を求めるという考えに至らなかったり、信をおかなかったりした人が多かったように思います。あれだけ自由にインターネットで海外の情報を知ることができたはずなのに、多くのロシア国民は政府の言葉を信じている、という人が大多数です。或いは信じていなくても声を上げられないという人もいるでしょうか。信じていると言うよりはソ連崩壊後の屈辱から今度の政府の言葉を信じたいという、希望のような気がします。実際プーチンはある程度までロシアを盛り返してきたという実績もあります。カリスマ性もあり信じない理由はありません。生前のゴルバチョフ氏のインタビューでも彼はこれを気にしていた動画がありました。

更に悪いことに一人の権力者が長い年月権力の座に着くことは良い結果を生まないという歴史上の常識に疎かったのも、もしかしたらロシア人はそれ程歴史を勉強しなかったのでしょうか、ここは謎です。ただ、彼らと話していると法治国家ではなかったが故に、多少法を曲げても有能な政治家が国をよくしているのなら許容範囲だという考えは強い感じがします。民主主義国家市民からするとにわかには信じがたいタブーを犯している権力者も、成果を出していれば良いというのがロシア人の気質のようです。

旧ソ連の崩壊後、せっかくせっせと積み上げてきた国際社会での信用はここにきて全部チャラになってしまいました。なおロシアはロシア連邦になってからジョージアのオセチア地方、ウクライナの東部ドンバス地方やクレミア半島などに軍事侵略をしています。これも国威掲揚の一環なのでしょうが、普通に努力してもロシアぐらいの国であれば十分国際社会で評価は上がると思うのですが、軍事力という麻薬を使いたがるのはどこの国でも同じです。ただロシアの場合は使い方が雑なのかも知れません。また軍部が一番、旧ソ連の思想を固守しているとも言われています。そうかも知れません。

1つの偉大な政治家による行いも、鉄のカーテンの両側では評価が真逆というのは今なお少々驚きです。

令和六年弥生七日
不動庵 碧洲齋

 

ロシア市民が政治を語る

私はコロナ禍以前に毎年来日していたロシア人同門とよく政治の話をしていました。
何度か訪露した折にもよく政治の話をしました。
そこで感じたことです。
一部過去のブログと重複すると思います。

私が話した感じです。
多分一般的なロシア人の多くは我々が高校ぐらいまで学ぶような国際社会通念のような授業はあまり受けてこなかったように思います。例えば三権分立とか国家主権とか、ごく一般的な概念を知らないか、知っていてもさして重要なものとは認識していません。
なので国内で憲法や法律が恣意的に曲解されたり、拡大解釈されたり、無視されたりしても「いい権力者」であれば許せる、何かいい考えがあるに違いないので問題ない、という、ウソみたいですが今は懐かしの帝国時代の臣民の考えのままの人が大変多い気がします。選挙が公正ではないことを理解している人は割と多いですが、選挙の公正さを守ることの重要さ、それが守られなかったことから引き起こされる重大なことを彼らはあまり想像できません。この点は驚くほど幼稚です。

ただ彼らは決して愚かなのではなく、1917年まではロシア帝国皇帝の臣民であったし、1991年まではソビエト連邦の市民でしたから、そもそも民主主義には全くなじみがなく、基本的人権はともかく、社会に於ける基本的権利と言うものはほとんど理解していないのも無理はありません、と言いたいところです。
特に高齢者はそれが顕著で、YouTubeでも検索できますが目も当てられないほど愚かな発言をする人が多い。
もっとも、その点日本もいったいどれ程の日本国民がそれを理解しているのか疑問に思うことはありますが。

更に彼らはずっとプロパガンダ教育の中で生きてきました。ソ連が崩壊してウクライナ侵略が始まる前までは国が豊かになってきていましたからそれほどいびつなプロパガンダは必要なかったように思いますが、高齢者たちはかつてのソ連の栄光を夢見ていますし、中高年はまだ古い時代の思想を引きずり、欧米諸国のような民主主義にはなじみがありません。インテリ層、ホワイトカラー層などはその限りではないので政府を信用してません。さすがに若い世代はプロパガンダを含めてロシアの教育全体を疑って掛かっているようですが。

ロシア人たちと政治の話をすると、彼らは熱心に米国大統領はどちらが良いか議論します。これ、失礼なのですが傍から見ると本当に笑えます。自分たちの大統領はもう10何年も権力座の座に居座り続けて、キングオブ不正選挙なのにロシア国民はそれでも他国の選挙には興味はあるようです(笑) 
そして彼らはウクライナでは公正な選挙によってゼレンスキー大統領が当選したという意味が理解できません。実際、前大統領ポロシェンコの妨害が多く、公正を保つにはなかなか苦心したようですが、それでもゼレンスキーが当選してポロシェンコはキチンと大統領の座から去りました。ロシア人はこれ如何に重要であるかということを理解できません。民主主義国家の市民たる我々は選挙は絶対公明正大であるべきで、いかなる権力者もこれに従わねばならないというのは神聖不可侵の約束事ですが、ロシア人はこんな簡単な民主主義のお約束すら理解できないのです。私は幾度となくこの重要性を説明して理解させましたが、彼らの教育はこれが重要であることは教えていないようです。これは本当に驚きます。恐らく中国国民も同じく理解できないのではないかと思いますが。

ちょっとぐらい国内法や国際法を曲げても権力者が自分たちをよい方向に導いてくれるのであればそれは問題ない、というのが彼らのスタンスです。恐るべしです。それと少々可愛そうなのは彼らの世界的な影響力がまだ大きいと思っている辺り。実際少なくはありませんが、もうソ連時代ではないのです。そして悲しいかな影響力があるのは殆ど軍事だけ。経済力に至っては韓国と同じ程度、日本の数分の一、米国の10数分の一程度でしかありません。これが彼らのプライドを痛く傷つけているように思います。ですが現在、民主主義と資本主義の組み合わせが今のところ国家を経済的に強くするもっとも効率的な組み合わせであることは疑いもなく。ロシアが頼みにしている中国も恐ろしい勢いで崩壊しつつある今、どうしていくつもりなのかと思います。

ロシア連邦が唯一、世界に影響を与えていた軍事力ですが、これまた驚くべきことに戦略思想が前世紀的で兵器も結局張り子の虎で今回の侵略では西側兵器のいいテスト材料にされている始末。やはりよい兵器を作るには基礎がしっかりした資本主義で培った経済力に裏打ちされていないとできないことが分かりました。まあ、物量作戦は第二次世界大戦さながらですが。せいぜい自慢できることが兵器ぐらいと言うのも情けないですが、今後はそれもあまり市場を広げられるようには思いません。

やはり国家の基というのは国民の教育ありきなのだと、今回の戦争で痛感させられました。
今回色々ロシア人のイタい所を書きましたが、実際問題、ロシア人の国民性はアメリカ人よりは遥かに日本人と似ているのは間違いありません(笑) 我々も愚かな政治家に騙されないよう、気を付けたいところです。

令和六年弥生三日
不動庵 碧洲齋

2010年に初めてロシアに行った時に撮影した赤の広場

 

SHOGUNを観て

今朝、ディスニー+独占放送中のリメイク版「SHOGUN」を視聴しました。

旧作は部分的にしか覚えてませんが、小学生が観ても何かちょっといびつな日本文化、歴史が描かれていて何か気持ち悪いものを感じていました。そしてこれがその時西洋人が知っている日本なんだなと漠然と思ったものです。小学校5年生ぐらいでしたが、西洋人の日本に対する理解の足りなさに少し悲しいような気持ちもあったように思います。

そしてその44年後、このリメイク版のSHOGUNは恐ろしいほどにディティールにこだわり、時代考証や所作、小道具に至るまで大河ドラマ並になって再登場しました。もちろん、細かい所を突けば、多少歴史好きの人から見たらあちこちアラは出てきますが、欧米人主導の作品のこのクオリティーは実に見事と言わねばなりません。私はラストサムライも素晴らしいと思いましたが、このSHOGUNも同じかそれ以上ではないかと思った次第。欧米人の日本に対するリスペクトの深さ、重さがよく伝わった作品です。

何かとケチを付けてくる人もいますが、それなら日本人スタッフが大体同時代のイギリスで起こった清教徒革命のドラマをキチンと作れるかと言えば恐らく無理でしょう(ちなみに私もイギリス史には詳しくありません)。つまりこのSHOGUNを製作するにはそれだけ膨大な手間暇と予算がかかっていると言えます。考証には真田広之さんが多大な貢献をしたようです。

ドラマはまだ2話までですが、内容は大筋では普通に関ヶ原の戦いの少し前辺りのことを脚色してます。内容はぜひご覧下さい。

ただ、視聴してちょっと思ったこと。恐らく戦国史に少しでも詳しい方だったらやや戸惑うのは出演者たちの名前。ラストサムライ同様に史実の名前が使われておらず、しかしながら出演者たちはまごうなき史実の人をモデルにしているので史実の名前とドラマの名前とを比定しながら観てしまうと思います。・・・でもこれって、別に歴史上の人物の名前をそのまま使っても問題ないと思いませんか?少なくとも日本人にはその方が分かりやすい(笑) 日本人に遠慮しているからなのかなんなのか。

別バージョンでぜひ歴史上の名前で作ってもらえたら嬉しいです。

それにしても真田広之演じる吉井虎永(徳川家康に準ずる)役の真田広之、とてもカッコよかった。

 

令和六年弥生二日

不動庵 碧洲齋

「どうする」も楽しみましたがこっちの家康さんはシビれます(笑)

 

ウクライナ侵攻3年目

今年の2月24日でロシアによるウクライナ侵攻が2年となり3年目に突入しました。
正直ここまで長引くとは思いませんでした。
何と言ってもウクライナはロシア民族発祥の地とも言われていますから、親戚のような国です。互いによく知った知人友人家族が住んでいるので、小競り合いはあったとしても、ここまで前世紀的なベタな侵略をよもや国連常任理事国が起こすと思いませんでした。
ソ連崩壊後、普通の国になりつつあったロシアの豊かになりつつあった市民たちがここまで国家を支持するとも思いませんでした。
想像以上にネットの力が国家のプロパガンダに負けるとも思いませんでした。
色々な意味で想像以上の事ばかりでしたが、ここでこの侵略を許してしまったら、ロシア人はもう目覚めない気がします。
また、今や火の車になりつつある中国も国内の不満を国外に吐き出させるために同じようなことを目論んでいるようにも思いますが・・・こちらはもしかしたらすでにそれどころではないかも知れませんが。

今回ネットの力が弱いと思ったのは当事者同士だけの話しではありません。
第三者である他国です。例えば我が国日本。
ロシア人と生で話したことがありますか?ロシアに行ったことがありますか?
どちらか1つでもYESの人というのはとても少ないと思います。
つまりロシアという国は日本だけではありませんが大半の国にとってあまりなじみのない国だと言えます。
つまりあまりなじみのない国の国民がこれらの二国を論じています。
知っていなければ語ってはいけないのかとまでは言いませんが、やはり直接知らない、あるいはネットだけで知ったつもりになっているだけで話すのは恐ろしい気もします。
逆にリアルに両国民を知っている人はもっと発信しましょう。

先の大戦では一体どれ程の日本人がアメリカについて知っていたでしょうか?
また一体どれ程のアメリカ人が日本について知っていたでしょうか?
恐らく想像を下回る数のはずです。そして互いに知らない相手同士で戦いました。
もちろん知っていても今回のウクライナ侵攻のように起こる場合もありますが、無知で戦うのはもっと恐ろしい。
私は幸いにも商用と私用でコロナ禍前までに10回前後ロシアに行きましたし、毎年のように来日したロシア人と交流を持ちました。
なので一般の日本人よりはかなりよくロシア人を知っている方だと思います。

今回衝撃的だったのは、友人らの中には侵略が始まってすぐ、率先して侵略部隊に参加した人が数名いたことです(彼らは元軍人)。中には砲兵部隊の小隊か中隊の指揮官になった人もいるそうです。また、戦場に行かなくとも積極的にプーチンを支持している人がいたことです。本当に吐き気がするほど気分が悪いことでした。これだけネット社会が広くなっているにも拘わらず、国家のプロパガンダの方が圧倒的に強い。いや、国外脱出した人の総数がすでに約400万人に達していて、その平均年齢が40歳にもならないから、インテリジェンスの高い人はネットを見るまでもなく逃げ出しているのかも知れませんが。日本国民のインテリジェンスも対戦車ヘリコプターの低空飛行並みに低いですが、ロシア国民は帝政ロシア、社会主義そして混乱の後のプーチン政権ですから、一般大衆の民主主義レベルたるや目も当てられないレベルです。無知は無知でも嗤っていい類のものではありません。とはいえネットを通じて知ることができる権利を放棄して、国家をより良くするという義務も忘れていますから無罪というわけではありません。

ネットですが、ここ半年はロシアのネット環境も中国並みになってきた気がします。
ロシアの友人がVPNを使っても海外にアクセスするのが難しくなってきたとのこと。最近は殆ど繋がりません。
よく暴動でも起きないものだと思いましたが、基本ロシアは農業国ですから国民は食べられれば忍耐強いのだと思います。
日本国民も30年間平均基本給与があがらないのに黙々と黙って働いて国家権力に盲従するあたり、私が見たところロシア国民とピッタリ国民性が似てます。いや、本当です。

ロシアは国土こそ広いですが、経済力は恐るべき事に韓国とほぼ同等、日本の数分の一です。人口も日本よりも2千万人弱程度多いだけです。現在、そんな国から約400万人が国外脱出して、推定10万人程度の戦死(もっと多いかも)、30-40万人程度が負傷しているそうです。日本だったらちょっと信じがたいレベルの国家的損耗ですが、プーチンは見事にこれを抑えています。独裁権力の力をまざまざと見せつけられた気持ちです。果たしてこれがどこまで維持できるのでしょうか。そしてどういう形であれ10万人の戦死者が分かった時点でロシア国民はどう反応するのか興味があります。

一度狂気の列車を走らせてしまったからもう後には戻れないという感がします。プーチン支持派の民衆も愚かとかではなく、「その後」を考えたくないだけなのかも知れません。普通に考えたら確かに考えたくないのも事実。
今回ロシアが今の占領地を保持したまま停戦に持ち越せたとしても、その後の厳しい経済制裁はもっと国を苦しめるはずですからすでに勝っても負けてもあまり意味がない気がします。そしてそういうことすら理解できない国民がいます。

3年目は色々大きな動きがあるように思います。いや、取り敢えず戦争は終わってほしい。
私は毎日平和を祈ります。

令和六年弥生朔日
不動庵 碧洲齋

最後にロシアを訪れた2019年に撮影。ウクライナから僅か100キロの場所。

 

未だ燃ゆる魂

本日は久々に日本武道館で行われる恒例の古武道演武大会を見に行きました。
今年は日本古武道協会設立45周年記念、回数としては第47回を数えるそうです。

今年は35流儀が参加しました。
少々残念なのはいつも大トリの鹿島香取のうち、鹿島新当流が参加しなかったことと、香取神道流が色々内輪もめで今年はたったの3人での参加だったこと。組織内での権力抗争はホントに嫌ですね。私も少々思う処是在りで、憤りを覚えること甚だ大です(笑)

さて、この大会の来訪客はそれほど多くはなく、席が埋まるのは概ね5割ぐらいでしょうか。そして若い人がいると言ってもやはり年齢層は高い。
更に言えば演武参加者の年齢層も高い。古武道は若い人には人気ないんでしょうかね。これはいつも残念に思います。

35流儀の内、毎度ながら大変勉強になった流儀もありましたが、今日気になったのはそれではなく。
幾つかの流儀の代表師範や宗家の先生がたはかなりのご高齢で、門弟に手を引いてもらったり、杖を突いたり、びっこを引きながら歩いたりと、高齢のため体が言うことを聞かないにも拘わらず、武芸者としての闘志が燃えていたこと、これに頭が下がりました。
体が動かなくなっても心が動こうとするその姿にこそ、武芸者としての真の姿を見た気がします。
自分も体が自由に動かなくなってくる年齢になっても、魂だけは熱く燃えたぎらせたままでいられるのかどうか、考えます。

恥ずかしながら私も40年近く武芸を続けていますが、ここまで来ると惰性にも近く、習慣と化している部分もなきにしもあらず。武芸の向上はそのような怠惰な姿勢であってはならぬと誡めます。
もっと多くの日本人が古武道に興味を持ってもらいたいところではありますが、まずはその体現者たちはどのように理解してもらえるのか考え、魂を燃やし続けることが肝要ではないかと思った次第です。

令和六年如月四日
不動庵 碧洲齋

 

祖国を想う心

今年の正月は記録に残る最悪の事故と災害が重なりました。
ひとつは日本航空166便と海上保安庁の航空機接触事故。
もう一つは能登半島大地震。
幸いにして前者はあれほどの大事故だったにも拘わらず、たった18分で400人近い乗員乗客を無事脱出させることに成功したという、まさに奇跡的な事件でしたが、それでも海上保安庁の航空機に搭乗していた5名は亡くなってしまいました。彼らは能登半島の地震の支援のために出立するところだったそうです。
能登半島大地震は東日本大震災を彷彿とさせるものがあります。先の大地震でかなり多くの教訓を得たはずで、メディアの注意方法や警告方法など、改善が見られていましたがそれでも100人以上の犠牲や200人以上の行方不明者がいるなど、多くの被災者の方々を含めてお見舞いを申し上げると共に、自然の恐ろしさを改めて思い知った気分です。

これに関連した話です。
JAL機事故の奇跡の脱出、能登半島大地震での被災者たちの規律正しさなど、雨後の竹の子のようにSNSで賞賛する投稿が増えています。羽田空港事故では能登半島大地震の救援に向かおうとしていた海上保安庁機の5名が亡くなっており、能登半島では3桁もの犠牲を出してしまっていますから、賞賛系の動画はいかがなものかと思います。

私が些か食傷気味に感じるのはいわゆる「祖国礼賛系」投稿です。
YouTubeなどで多く見かけます。
日本人が日本人に日本語で自国の素晴らしさを誉め讃えるという行為は悪だとは言わないまでも些か品性に欠けるように感じます。
こう言っては失礼ですが、例えば歴史が数百年程度の若い国家であればそう言うこともあるのかなと思います。
また、独裁国家では政府主導でそういうことがあっても致し方ないと思います。
しかし世界最古の国家たる日本人が日本人同士で祖国礼賛動画で盛り上がってはいけません。あまりに品がなさ過ぎます。
それ程祖国礼賛をやりたい場合はできたら英語で海外の人に広めてください、と言いたいところ。
私も何かの折には日本について、国際的に見てなかなか素晴らしい情報があればSNSに投稿することもありますが、「そういう系の投稿」にしか「いいね」を押さない人もいたりして辟易させられることもあります。一般に反日国と見做されている国をい異常なほど口撃する人も好きになれません。私も時々揶揄することもありますが。
つまり右でも左でも私は偏った人があまり好きではありません。

偏った内向き思想は大抵異常な方向、極端な方向に向かいます。
そしてそれは我が国の雅号でもあり、理念として掲げている「和」にも反します。
もっと簡単に言えば畏れ多くも天皇陛下の御宸襟を悩まし奉ることは全て良くないことです。
天皇陛下が国民に望んでいるであろうことを慮って、誠実にそれを行い国内と世界にあって調和を旨とすること。特に保守系に異常に傾倒している方に言いたいのはこれです。
いや、実際に私も幾つかの横暴な国家に対しては厳しい指弾はしますが、上記の想いなくしては日本人の本分が発揮できない、私はそのように考えています。
その上でこれらの行いを慎み行いて、海外から日本人の資質を賞賛されるのであれば、まさにそれが本物の祖国礼賛ではないかと思います。
くれぐれも日本人たるもの、皇室の元、勇敢で慎ましく、知恵と慈悲を持つ美しい姿の国民でありたいところです。

令和六年睦月九日
不動庵 碧洲齋

今年の初詣で参った、我が先祖が鎌倉時代に創建した神社。