不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

鬼滅の刃と竈門炭治郎が生きた時代

ここ最近、何となく再び「鬼滅の刃」をNetflixで視聴しはじめました。
人を喰うという点では「進撃の巨人」も同じなんですが、あっちはあまりにもディストピア感が強くて私は結局シーズン1までしか観てません(笑)

ま、「鬼滅の刃」の内容に関してはかなり良く知られているので割愛します。
今回私が気に留めたのは彼らが生きた時代です。
公式には「大正時代」と言っていましたが、ネットで検索するとかなり年代が絞られていて、物語が始まったのは大正元年から3年頃の話だそうです。西暦で言えば1912-1914年頃でしょうか。

大正時代の町並み、炭治郎たちが歩いていそうです

大正時代というと「大正デモクラシー」とかいうイメージがあり、なんだかモダンな時代になったような感じがします。
こんな風に捉えてみてはいかがでしょうか。大正元年は日露戦争から7年後です。日露戦争は近代日本が初めて西洋人と対決して、後世の戦史でも絶賛されるような戦術や戦法、あるいは外交を行って超絶的な働きをして、多くの欧米人たちの予想を裏切って見事な勝利を収めました。
とはいえこの勝利のために国民は重税や兵役といった塗炭の苦しみにまみれ、明治時代の国民は日清・日露戦争のためにかなり苦しい生活を強いられてきました。明治時代が文明開化の時代であったのは間違いないにしても、ある意味では江戸時代よりも苦しい時代だったかも知れません。

日露戦争当時の大日本帝国海軍連合艦隊

大東亜戦争では日本はあり得ないような大敗を喫してしまいましたが、戦後7年というと昭和27年、前年に結ばれたサンフランシスコ平和条約発効に伴い、大半の連合国駐留軍が引き上げ、本当の意味で平和がやってきたような時代でした。
恐らく大正元年も日露戦争の苦しみから解放されつつあったような時代だったのではないかと思います。
明治大帝が崩御され、それでも多くの国民は悲しみにうちひしがれたものの、多分大正時代は何か新しい時代に感じたはずです。
炭治郎は物語の初めは13歳とありました。ギリギリ20世紀生まれか、もしかするとギリギリ19世紀最後の生まれだったと考えられます。つまり日露戦争があったとき炭治郎は5-6歳ぐらいでした。「鬼滅の刃」には多くの孤児が出てきます。或いは貧しい人も出てきます。直接の言及はありませんが、あれは多分日露戦争によって一家の主を失ったためと読み取れます。
また結核や身体が弱いという人もいましたが、当時は徴兵制でしたから兵役に就けなかったというのは男児として恥ずかしい時代でした。炭治郎のお父さんももし体が丈夫だったら間違いなく日露戦争に徴用されていたと思います。運が良かったですね。

さて、マンガではすでに完結してますが炭治郎が入隊して、鬼舞辻無惨を倒すまでが1年ぐらいだったそうです。めでたしめでたし・・・と言いたいところですが、入隊が大正元年だと想定すると・・・実はその年は第1次世界大戦が始まった年でもあります。双方軍民合わせて2000万人近くが亡くなっています。正直鬼よりも人間の方がもっと恐ろしい。鬼舞辻無惨よりも人間社会の憎悪の方が何万倍も恐ろしいと思います。
ただし主戦場は遠い欧州で日本はほんの少しの犠牲でドイツが持っていた極東の権益を得ることができたりしたので、日本にとっては結構割の良い戦争だったと思います。

さて、鬼が去って、遠い欧州では人類史上最大級の戦争があったと言うことで日本はその頃、欧州の戦争での特需もあり平和裏に結構な経済繁栄をします。日本は朝鮮戦争でもベトナム戦争でも繁栄してきましたから、ある意味日本は戦争の生き血を吸って発展したという側面もあります。この辺り日本人は慎みを持って考えたいところです。ネットによると炭治郎は同じ鬼殺隊同期のカナヲと結ばれているようです。他の仲間も大体同じように幸せになっていったようです。
・・・が、それは永くは続きません。結婚して多分子供がまだ幼い時代に世界大恐慌が起こります。炭治郎たちはどのようにこれを乗り切っていったのでしょうか。でも苦難はまだまだ続きます。恐るべき事に元鬼殺隊の隊員の子供たちが20歳前後になったとき・・・今度は大東亜戦争が始まります。炭治郎や彼の仲間たちはもしかしたら運命の神を呪ったかも知れません。自分の子供たちが戦争に連れて行かれます。私だったら普通に神仏を呪ってしまいそうです。大東亜戦争が始まった頃は炭治郎は恐らく40代前半、大戦末期だとそれでも徴兵される年齢にされてしまいます。この時代の人はもう踏んだり蹴ったりですね。令和の世に生きているサラリーマンの悲哀もホントにどうにかしてほしいところですし、ウクライナで戦っている兵士の皆様も大変でしょうが、炭治郎の世代は本当に不幸の連続です。それを生き抜いたのですから本当にたくましいです。

戦後、炭治郎が70-80歳ぐらいまで生きたとすると、産まれたのが丁度1900年頃と考えて1970-1980年頃、日本の高度経済成長期のまっただ中と考えられます。日本の大発展を見ながら永眠するというのは良かったと思います。そのくらいないと割が合いません。最もその後のバブル崩壊を見なかったのは幸いでした(笑)

・・・と、まあ、こんな感じに鬼滅の刃と炭治郎が生きた時代をなぞってみました。

炭治郎の一生は作中よりもそれ以後の方が遥かに苦しかったはず

令和五年如月二十五日
不動庵 碧洲齋