不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

推手セミナーに行ってきた

昨日は荒川区で開催されている推手セミナーに参加しました。
他流のセミナーに参加したのはかなり久々ですが、この推手一度どんなものか体験してみたかったというのがあります。数年前にFBで見つけてから割と良く見ている流儀です。理合や哲学が私がよしてするところと似通っていたためでもあります。講師は台湾在住の日本人の先生です。私よりは少し若いでしょうか。参加者の年齢層は若い人から私より年齢が上の人までさまざまいました。武芸や格闘技経験者もいたようですし、そうでない方もいたようです。ただしほぼ常連の方でしょうかね。初参加というのは私ともう1人ぐらいだったようです。セミナー自体は数日間に亘って2時間単で開かれていましたが、私はその内最後の2コマに参加しました。

推手というのは一般的には太極拳などの中国武術における練習方法の一つですが、こちらは練習方法ではなく競技の推手です。簡単に言うとバランス崩しのようなものと考えていいかと思います。(違ったら済みません)
稽古をしていて大変だったのが根本的な理合が異なること。推手は「動かない」ことが重要でありますが、普通の武術なり格闘技は「動く」が前提になります。基本的なコンセプトとしては片方の手を動かさず相手の力を受けてもう片方の手で相手をコントロールする、感じでしょうか。もちろん「手」と言っても体術を要するのは言うまでもありませんが。またそれはあくまで基本で、実際にはもっと柔軟に動きます。私の動きは基本流水なので体の一部を動かさないというのがなかなか難しかった。私は動中の動が基本であるため、固定された状況下では最小限の動きで最大限の効果を発揮しなければなりませんでした。

しかも私は下半身の体重移動と体幹動作で上半身、特に腕の動きを制御する方ですが、それもままならず、この辺り苦労しました。ただ講師の言わんとするところはよく理解でき、相手の動きの感覚を鋭敏に感じるというのは割に難しくありませんでした。とはいえ体系化された技法などは全く分からないので、当流の動きで受け流すと早速指導が入ったりしました(笑)

また重要なのはあまりフルモードでやらないこと。フルモードでやるよりはなるべく普通の人の感覚に近い状態で感じた方が参考になることと、そもそも相手に自分が武芸者であることを知られないようにするため。一番最後だけ調子に乗ってしまったので、古参の方にチト目を付けられてしまったのが不覚(笑) 当流的には失格ですな。一番良いのはとても武芸とかしているように見えない人に見られること。最近はかなりそうなってきています、ちょっと自慢ですけど。
また年下からでも武芸歴が浅い人からも「はいはい」とどれだけ虚心坦懐に教えを受け入れられるか、初心になれるかというのも今回のテーマでしたが、こちらは結構良かったと思います。20年ぐらい前だったらセミナー参加と言うより道場破りみたいになってしまったかも(笑) 長く一つの流儀にいると、知らず知らずのうちに井の中の蛙になります。ネット情報や動画で研究していたとしても基本的には井の中の蛙です。実際に体験してみないと分かりません。格闘をする人は多少なりとも「わが流儀こそ」という気持ちがあるものですが、その気持ちを誤用して傲慢になってダメにする人もいれば、より高きを目指すために礼儀正しく慎重になったりする人もいる、言わば分岐点でもあります。

もう10年ぐらいになりますが、塩田剛三先生の直弟子だったというご老人がよく私が通う道場の見学に来ていました。当流を大変面白い、実戦的だなどなど、大変お褒め頂いていましたが、80過ぎでも他流に興味を持ってわだかまりなく良いものを得ようというその強靱な精神に感服したことがあります。私もなるべくそのように心掛けています。

太極拳、機会があったらやってみたいところですがなかなかどうして。
今朝は肩甲骨の周囲が筋肉痛(笑) 下半身は若干重い感じがするだけで特に何ともなく。
大変良い経験でした。

*初心の頃はあまりたくさんの他流セミナーに参加することはあまりお勧めしません。変なクセが付いたり、自身の流儀の体系理論を理解しないうちに色々広く浅く見ると混乱するからです。3年とか5年ぐらいは自身の流儀に徹してから興味を持った他流を見学すると良いかと思います。あくまで私見ですけど。


令和五年如月二十七日
不動庵 碧洲齋

写真を撮らなかったのでイラストにて

全日本推手普及協会

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